愛好家ファンシア2112 -粘膜肉人形- 


◆ 第一章 Key To Paradise パラダイスへの
かぎ ◆
            H06/03/22 UP DATE



シグナルが青に変わった瞬間、遠くで夜空が瞬いた。
宵闇よいやみに染まる中空に、白と黒に塗り分けられた幾何学の影が浮かび上がる。
幾本もの高速道路が立体交差して複雑に絡み合い、彼方までウネって交差し生み出された模様だ。

「……」

その天空に描かれた奇怪な陰影が、フラシュを炊かれた残像のようにマブタの裏に焼き付いてはなれない。
不意に、妙に艶めかしいそのコントラストが白磁気のような彼女の柔肌を思い起こさせた。

「ああ、そうだ……」

甘く切ないあの息遣いが、すぐ耳元で聞こえる。
あの鼻にかかった、男の魂を掻きむしる吐息が。
むせるように甘くかぐわしい香り。
にじむ汗で
きらめく白く華奢な首。
切なそうに揺れ乱れる、汗濡れた長い髪。
欲情に悶え、霞む

熱に浮かされたように上気し、歪むその美貌。
鷲掴みにすると、ぐにゃりと波打ち、弾む爆乳。
ぬかるむ媚粘膜の摩擦と熱く灼けた柔肉。
激しい
戦慄わななきと、絡み合う熱を帯びた肌の感触。
何度も背を反し、全身を薔薇色に上気させ、揺れ踊る官能の痙攣。
鮮やかな朱唇は妖艶に歪み、どこまでも
とろけけ。
濡れた瞳が癒しを求めるように、
きらめいて。
玉となった汗が、深く刻まれた胸の谷間を滑り落ちていった。
砂時計のようにくびれた細腰の、艶めかしい動きが絡みつく。
切羽つまた痛痒と、背筋を駆け上るいいようのない
たかぶり。
全てを受け止める、汗ばんだ内腿が挑発的に吸い付いてくる。
首筋や背中を愛撫する度、乳房がもどかしげに震え、胸板で押しつぶされて歪んだ。
そうだ。その全てを喰らい、吸い付き、歯を立て、舌を這わせて━━

ドッ!

「うっ!?」
「オラ、ボサっとしてんな! 気をつけろ!」

不意の衝撃にたたらを踏む。
艶めかしい色香は霧散し、立ち並ぶ摩天楼の狭間からのぞく鉛色の雲が遠くで輝いた。
音の無い稲妻を前触れに、高層建築で鋭角に切り取られた夏の夜空から冷たい雨がパラリと落ちてくる。

「……雨??」

見ると、脇を通り抜けた人影が去っていく。
知らぬ間に交差点の向こう側でたむろする人々の列が崩れ、押し寄せてきていたのだ。
思い思いの極彩色な透過素材に身を包み、これみよがしにせり突きだした胸の膨らみを、
締め上げた腰のくびれを、尻の線をひけらかす女達。
ここ百年変らず、大きな胸を極少極薄のボディラップで隠す半裸スタイルは男達の視線を惹きつけている。
そして、その影には幾重にも重った流行のグラフィックスフィルムでマッチョに着飾る男達。
その隙間を、シックで落ち着いたスーツ姿のビジネスマン達が機械仕掛けのように規則正しく歩み去っていく。
そんな群衆が、入り江でぶつかり合う波のように乱れ混じり、オレの側をすり抜け、激しく
錯綜さくそうした。





嬌声と罵声。
足踏みに喧噪。
擾乱じょうらん混淆こんこう
渦巻く人いきれ。
ありとあらゆる残忍で無慈悲な破壊と、不条理なまでに高密度な情報の混濁。
己の欲望を満たす為に、ただ楽しむだけに解き放たれる衝動の余韻。
だが、ごまんといる人々はそこに居ないも同然だった。
ここでは、誰もが他人に迷惑をかけない。
そいつが誰かに迷惑をかけないかぎり、その当事者でないかぎり誰もが誰にも注意を払わない。
ここは光りと闇が入り交じり、反転し、そして交差するコンクリート製の砂漠だ。

「……おっと、こうしちゃ居られない」

勢いを増し、降り注ぐ黒い雨に追い立てられてるように手近な建物のエントランスへ待避する。
気温がたちまち数度は下がっただろう。
灼けたアスファルトから埃臭い蒸気が立ち上っている。
耳障りなクラクションが響き、濡れた路面に渋滞で延々と連なる車の赤いテールランプが反射し、揺らめいていた。
充血した眼球に、雨で煙る夜の灯がしみる。
喧噪が至る所で渦巻き、情報の洪水がそこかしこに吹き溜って澱のように沈殿しているようだ。
この雨にかき消されることなく、燃えるような都市の灯りにも負けず、
無機質な直方体や円形の色とりどりの液晶ディスプレイが幾重にも折り重なって
きらめいている。

「この薄汚い雨でも、あの輝きは隠せないって事か…」

林立する幾何学形の断層と集積。
鮮やかに瞬き、一時として同じ画を映し出さない華やかなイルミネーション。
望むと望まないに関わらず、ここではどこでだろうと24時間延々と情報がタレ流がされている。
立体映像の瞬く光りの中で踊る宣伝文句と、飛び交うフォトンレーザーは暗示のシグナルだ。
気を許すと易々と意識を乗っ取り、過剰な情報を浴びせて大衆の思考を埋め尽くしていく。
奴等は人間としての基本的な部分を手放させ、代わりにスーツとピカピカの靴に美麗なドレス、
それに浴びるような酒と眩いジュエルに豪華なレストランでのサービスを約束します、と優しく誘うように囁くのだ。
大企業が電子の夢を現実に適えてくれる訳はないのに、その愚かな誘いに乗る輩は後を絶たない。
電話が指輪の形になり、誰もが容姿を思うままに変えられるようになって久しいけれど、
CMのケバケバしさは昔から少しも変っていないと言う。
世の中が守られることのない約束を夢見て眠っている間もこの街は輝きを増し、
自らの光で活気に満ち、絶える事無く蠢いているのだろう。

「……!」

蛾が、ぼんやりしたものをたなびかせ、羽ばたきながら脇の地下道へ吸い込まれていく。

「はは…お前の巣もこっちなのか?」

まるで雷鳴の後のオゾン臭のように、人々のざわめきがそこかしこの空中に漂っている脇を抜け、歩き出す。
意識せずとも、通い慣れた帰路へと足が動くものだ。
気が付けば、いつもの電車のシートに腰掛け、オレは揺られていた。
お決まりのどんよりとした疲労感と空虚感が、頭にも身体にも
瀝青れきせいのようにこびりついている。
突然の降雨の為だけでないだろうが、見慣れた電車の混雑が待ち受けていた。
強めにクーラーが効いている車内が、外との温度差で少し蒸し暑く感じられる。

「……!?」

だが、すぐ脇の手すりに寄り掛かるようにして上質な光学コートに身を包んで立っている女の、
白磁器を思わせる顔には汗一つ浮かんでいない。
見たことのない顔のタイプだ。きっと新製品なのだろう。
艶やかで形よい朱唇に、雪白い美肌の顔、と最近の整形顔はどこをどういじったか分からない優れものだ。
顔だけでなくボディの方も、垂涎モノのいかにもという女の曲線で構成されている。
好色な男でなくてもヨダレを垂らさんばかりの一品だが、生憎と痩せ過ぎはオレの好みじゃない。
大体が不自然さを消そうとして故意に非対称が組み込まれたその顔の造形は、手違いが刻まれたマネキンのように見えるのだ。
出来のいい工芸品のような、こんな代物にぞっこんになる男の気が知れない。
もっとも最近は、この手の冷淡顔が男だけでなく女達の間でも大いに流行っているのだが…
同僚の言葉を借りるまでもなく、男が憧れる美人顔と、女が憧れる美人顔とはこうまで違うのかと、実感させられる瞬間だ。

「う……!」

不意に、整ったその顔が苦痛で歪む。
リニアになって振動から解放された電車だが、それでもカーブにさしかかると車内を埋める人波が揺らめいた。
まだ慣性という苦痛を制御する技術は実用されていない。
扉までぎっしりと人で埋まった車両に熱気が渦巻いた。
ごった返す人の体臭と吐息は、最先端の美容整形でも完全調整機能のついたエアコンでも拭いきれない。
けれど、それさえも後数年もすれば万事上手く解消されている事だろう……
先端技術の進歩は、我々の想像を遙かに超えたスピードで今も唸りを上げて明日へ加速しているのだから。
そんな事を呆けながら考えている間にも、目の前を名も知らぬ夜の街が駆け抜けていく。
毎日、毎日、毎日。
一体、オレは何度こうして、ここを往復してきたんだろう?

AM6:00 起床。
AM6:30 出勤。
AM8:45 会社到着。
PM7:30 帰社。
PM10:00 帰宅。

あくせく、あくせく、延々とこの繰り返し。
会社じゃ昨夜のうちに溜った仕事を机に張り付いて片づけ、電話に出れば謝り続け、
一息つく間もなく新たな仕事を命じられて外回りへ。
帰社したら帰社したで、苦痛以外のなにものでもない残業が終わったら終わったで、
人波に流されるまま駅から放りだされ、会社までの道を最短距離で突き進む。

「ソイツが大昔からの、少しも変る事のないルーチンワークってもんさって、誰かが言ってたっけ…」

だからと言って、我慢出来るものじゃない。
歩道に散乱しているゴミの吹きだまり。
野良猫や野良犬が残していった糞が散乱したありか。
屑同然の人間が路地のゴミ箱の傍らに横たわっている場所。
今じゃ、その全ての位置が見なくても分かるほどだ。
なにも変らず、なにも起らない退屈な日々。
無味乾燥でつまらない、なんの変哲もない行き帰り。
数時間の通勤が永遠にも思えた。
そう。『彼女』が現れるまでは━━


━ ◆ ━


「フフ…いい子にして待ってろよ〜〜」

2時間弱、電車の中でニヤつくのを何とか抑え込み、古びたマンションのある郊外へ辿り着く。
今夜、また“あの子”と一つになって心ゆくまで極上の快楽を味わえると思えば、会社での歯車生活なんてなんでもない。
むしろ日常の苦痛を耐えれば耐えるほど、“彼女”へ注ぎ込む“愛情”が濃密になっていく。
ベッドタウンへ散らばっていく雑踏の波をすり抜けながら、恥ずかしい程に気分が高揚しまくっていた。
だが、誰がこんなオレを責められよう?
あともう少しで可愛い“彼女”が待つ、我が家へ帰りつけるのだから!
もう陰鬱な上に単調極まりない、つまらない残業を押しつけられてウンザリしていなくていいのだ。

「早く、早く!」

エレベーターが39階で止まるのももどかしく、雨避け機能付きコートを脱ぎながら玄関ドアへ駆け寄る。
残業が長引いてかなり遅くなったせいで、ズラリと奥へ連なるドアからは物音は聞こえず、静まり返っていた。
オレの部屋は突き当たりだが、エレベーターから扉までの廊下が日に日に長く感じられてしょがない。
信じがたい事だか、オレは相当“あの子”にまいっているようだ。

「うぉ……っ! ととと!」

慌てて革靴を脱ごうとして転がりそうになるのを、壁へ手をつき難を逃れる。
ごく普通の壁のクロスがサンドペーパーのように指先を擦った。
ぱっ、と自動感知の照明が部屋を照らす。
室内は恐ろしく静かだった。
空気がほんの少し冷えている。
出がけにクーラータイマーの機動時間をセットしていたのだが、帰宅が遅れて止まってしまったのだろう。
3DKの玄関はご多分に漏れず狭苦しく、
すぐ横のキッチンからはオレが生まれる前からこもっていたような悪臭が漂っていた。
いつからシンクに放置したか忘れてしまった、
ひしゃげた合成ビールの空き缶三本と食べ残しのレトルト料理が臭いの原因だ。
たぶん、料理の容器には繰り返し暖められたせいでタップリとバクテリアが培養されている事だろう。

パキョ!

「痛っ! …っと、そうか。昨日散らかしたまんま寝ちまったんだな」

踏みつぶしたのは、幸い昨日で使いきってしまった栄養剤の入っていた容器だった。
まぁ、面倒な掃除は今度の休日にでもまとめてやればいい。
今は一刻も早く“あの子”の顔を見る事の方が重要だ。

「ナニも変った事は無かったよな? えーっと…セールスだけか…」

壁のインタホンに記録された映像を横目にリビングへ通じる扉を開けた。
感知式の照明が灯り、部屋の中から甘酸っぱいような、それでいて馴染み深く刺激的な匂いが流れ出てきて鼻をくすぐる。
すっかり今では馴染んだ、女の肌だけが放つ甘く芳しい匂いだ。

「ただいま。ごめんよ、遅くなって」
「くだらない仕事がちょっと長引いてね。せっかくのお前との夜が台無しになるトコだったよ」

シンプルなステンレスチェアに、引き抜いたネクタイとブリーフケースを放り投げる。
白い壁には無機質に数字が並ぶ実用的なカレンダーがぽつんと1つかけられているだけ。
ベットと照明スタンドが一体になった簡易テーブル。
そしてイスがあるだけの実用一点張りの安物家具ばかりの殺風景な部屋。
ここで文句一つ言わず、毎日“彼女”は静かにオレだけの帰りを待っている。

ぶにゅ!

「うへ! また踏んじまった……確かに足の踏み場もないなぁ、コレは」

狭いリビングの中央には丁度、棺桶を一回り大きくしたような半透明の直方体が鎮座していた。
その
うちは薄青い溶液で満たされている。
そしてその周りには、通信販売で購入した色っぽい下着がいくつも散乱していた。
部屋の四方には、無造作に積み重なる薄汚れたタオル。
食べ散らかした固形食料の食べカスとクズ。
包装用紙のビニールを丸めた束。
セックスを何倍にもよくしてくれるドラッグの数々と散乱したタブレット。
その合間に、粘液まみれなボンデージ服の塊が見え隠れしている。
その周りにも注射器、浣腸器、手枷、足枷、荒縄……

「っと…」

散乱する栄養剤が入っていた容器のボトルに混じって、
ここ一週間放置してきた“お楽しみ”のこもごもを爪先で脇へよけながら慎重に足を進める。
縦長の6畳ほどの洋室の半分を彼女専用ベッドが占有しているのでちょっと散らかすだけで、
足の踏み場もなくなってしまうのだ。
彼女が来たその日の内に家具の大半は捨ててしまったが、元からして狭い部屋は不用意に動けば壁に背を擦りつけてしまう。
今や殆ど彼女のベッドだけがある状態なのだ、この部屋は。
だが、ちっとも不便になど感じない。
この部屋は楽園への扉が置いてある場所に過ぎないのだ。
半透明のケースで彼女が眠りに落ちている間こそ、オレにとっては“夢”で、これから訪れる快楽の一時こそが“現実”なのだから。
この直方体のケース…彼女のメンテナンス用ベッドは“
かぎ”なのだ。
楽園への━━

「フフ…いい子にして待ってたみたいだね…」

壁に備え付けのオートクローゼットへ、
シワになりにくいだけが取り柄の着心地最悪な安物形状記憶スーツを放り込む。
明日にはパリッとしたスーツが一丁上がり、というわけだ。
どうせならシワと一緒に、毎日降り注ぐ上司のグチや叱責も綺麗さっぱり消し去ってくれればいいのに。

カチ…

静かに、彼女専用のベッドが唸った。
ゆっくりとハッチが開いていく。

「ふぅ……やっとか」

気分が
たかぶり、背中がムズついてきた。
帰りがけに裏路地で買い込んだ安物のアンフェタミンがそろそろ効いてきたな。
セロトニンが制御され、じわじわといいようのない高揚感がオレを押し包んでいく。

「ク……クククク…さぁ、今夜もたっぷりと愛しあおうか…リリカ…」

胸の奥で闇がひっそりと息づいた。
後ろ暗い、痺れるような
よろこびが胸を満たしていく。
今からは心から欲望が
したたり落ちる時間だ━━

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