◆ 奴隷商人 ◆                                                   UPDATE 09.02.04


 第一章 『麗しき来訪者』 



儲け話か、災いか、と予想していたが、どうやら後者らしい。
ヤレヤレ、厄介事を持ち込まねばいいが…


「ココを取り仕切っている方ヲ、呼んで下さいますカ?」


娘の言葉には明らかな西方訛りが聞き取れた。
男をとろけさせるエキゾチックな切れ長な目の他、顔の下半分を砂漠の民タジックの女と同じように薄いベールで覆ってはいるが、
その面長な顔つきには明かにこの辺りの血が混じっているのが透け見える。
西域に程近い地の混血児ミュラトールだろうか? それにしてもどこか風変りな…
これまでに魅力的な異国人を見慣れているはずの自分がそう感じたのは、恐らく彼女の奇異なその髪型のせいだろう。
子供っぽくふっくら立ち上がった前髪は狭い額を飾るように踊り、西域風に幾筋ものほつれ毛となって垂らされているけれど、
両サイドの思わず指でいてみたくて堪らなくなる艶やかな長い亜麻色の髪は手間の掛かる凝った編み上げにされ、
残りは滝のように背中に垂らして豊かな尻の上にまで流れ落とすのは、我々のような砂漠の民タジックの女が好む衣裳スタイルだったからだ。
そもそもこの街の女は誰一人として、素顔が透け見えるベールなどという不埒なモノを身につけて外を出歩くはずがない。
そんな破廉恥な代物は、宮殿のハレムで来客達に身を任せる最低な奴隷娘達しか身につけぬだろう。

…待てよ。という事はこの客人、西域からしたら辺境ザンムと言えるここへわざわざ出向いてきたと?
不道徳の温床のようなこの街へ罷り越まかりこしたる訪う者おとなうものが、こんな飛びきりの、匂うような窈窕ようちょうたる謎めいた美女が、なんでまた??


「あの……異国の方とお見受けしますが、ココがどのような店がご存じで?」


手の込んだ誰ぞの悪戯かともいぶかしみながら、チラ、と不審な来客の様子を室内に居ながらにして四方から伺う事の出来る、
扉横に設えられた錬金で組まれた水晶玉へ視線を送る。
ふむ、この娘の他に本当に誰もいないのか? 連れもなしに、ここへ?
向こうに見えるのは、女が乗ってきた輿と運び手の奴隷男達だな?
護衛らしき人影は見当たらぬ所を見ると、この地区がどういう処か良くわきまえているらしい。
大方、通りの向こうで一緒に来た馬車とビクつきながら身を寄せ合って停まっているのだろう。
いくら近くに供の者がいるとは言え、女の身一つでここへ乗り込んでくるとは、なんと不用心な。
正気の沙汰とは思えん、やはりここがどういう地区なのか分っておらぬ異国人に違いない。


「ハイ。知っている言うマス」
「左様で御座いましたか、これはとんだご無礼をば」



扉越しに釈然とせぬこちらの表情を見透かしたのか、まるで昔馴染みにでも声をかけるように、
美しい娘は無防備な愛くるしい微笑みを向けてくる。
吸い寄せられるように、ついその美しいかおを凝視してしまった男は、何も私だけという事はあるまい。
埋もれていた記憶を取りだして吟味するまでもなく、その造作は西域人とも砂漠の民タジックと取れる特に癖の無い顔つきであった。
ベールの上で輝く瞳には知性が漂い、さらに落ち着きがあるので、ことさら嬋娟せんけんたる容姿を際立たせるのだろう。
次に目につくのが、飛びきり良くできた工芸品のような彫刻じみたその綺麗な鼻だ。
細くて綺麗に整えられた眉の下には、白く彩られたまぶた
鮮やかなその発色は西域の高価な化粧品で、間違いなくまがい物でない上質な鉛と銀の混合粉だろう。
先ほど目を奪われたあの大きなエメラルド色の両瞳は、近くで見れば見るほど不思議な輝きに満ちて、
匂うような色香を振りまくようにきらめいている。
あごの細い逆三角形の輪郭に、艶やかな肌にはシミ一つ無く、
涼しげに輝くこぼれそうに大きな目と小粒に揃った白い歯が、何故か猫を連想させた。
様々な事を連想させずにおかぬベールの向こうで揺れるその艶唇は、
まだあどけなさを残すその美貌とは裏腹に、どこか酷く淫らに思えてしまう。
銅色に灼けた身体が群れをなすこの街でさえ一際目立つ、惜しげもなく晒されているその瑞々みずみずしく輝く褐色の肌からは、
近づくまでもなく幾重にも薄く塗りつけられた甘いアーモンドオイルの香りが漂ってきた。
蜜蝋の艶だしワックスでも塗られたように艶やかなその皮膚は薄く透き通る絹のようで、確かめるまでもなく敏感なのだろう。
きっとほんの少し愛撫するだけで易々ととろけ達して、その華奢なつくりの美しい肢体を悦楽に痙攣させるに違いない。
どこもかしこも蜜のように甘く、溺れるように柔らかで、壊れやすい炎のように夢中にさせる、
男に抱かれる為だけに生まれ、そして育てられてきた女なのだと見て取れる。
見ているだけで淫らな雰囲気にに引き込んでしまう小柄で官能的な曲線美に、気怠げな何気ない振る舞い、
そして男の心乱さずにおかぬ蜂蜜のようにトロリと甘い声音と、まるで彼女の全身からほのかな芳香が放たれているようだ。
あと数年もすればすっかり熟れて、けれど今はそうなりかけのなんとも言えぬ危うい頃合いの、
抱きしめたくなるような細身の体つきじゃないか!


「しかし…お見受けするに貴女様のような方が、何故なにゆえこのような寂れた場所へ直々に…?」


出来るだけ穏和に話かけたつもりだが、目の前の美貌を無視するのは余りにも不可能に近かった。
商談が始まろうというこんな時になんと不謹慎な、そう己を心の中で叱っては見たものの、つい見惚れてしまうのである。
なんと美しい女なのだろう、と。
均等の取れた体つきは惚れぼれとする程美しくいのは無論のこと、
服など持っていないのか目の前の美女は、西域風に極細の柔らかな薄布をわずかに巻きつけただけで、
乳房が揺れるのを防ぐ機能をすっかり放棄している極小の胸当てと、
股間にぐっぷり食い込んですっかり形を露わにしてしまっている小さな逆三角形の白麻の布切れに、
東域の踊り子風な金糸で編まれた腰帯で砂時計の如くクビれた細腰を締め上げる他は、
わずかに手足の肌を覆う薄モノだけを纏った、ほんの申し訳ばかりの布切れから美しい肉体からだがはみだしている、
殆ど半裸姿と言っていい格好であった。
オマケに馥郁ふくいくと香る姿態をもっと魅力的に見せるように工夫してカットされたであろうそれらの衣裳は肌にぴったりと張り付き、
全裸以上に劣情を煽るその風変わりな出立とも相まって、一層に破廉恥さを増させているのだから本当にタチが悪い。

普通ならあんな風に無惨なまでに2つのおおきな膨らみに布切れを食い込ませたら、
歩く度に歪んで持ちあがったり、妙に扁平になったりと無様になるものだが、
鼻先で揺れるソレはそんな悪条件を微塵も感じさせぬ見事な張りと丸みを保っているのだから、
その声高に己の存在を主張する乳肉の豊満さは並み外れていて、
たっぷりと実の詰まった弾力を誇っているのだと、否が応でも分ろうというものだ。

今にも焦げつきそうな程に男達の視線を強烈に惹きつけるそのなまめかしい頂が生み出す深い谷間は、
微かな汗の玉で飾り立てられ、張りのある乳房を僅かばかりに包む生地の薄い胸当て部分の頂点で、
その量感に反して小さめで可憐な、とても奴隷の娘のものとは思えぬまろやかで淡い色合の、
2つの突起物が乳輪を上半分覗かせてクッキリと浮き出ているのは、最早犯罪的ですらあった。
その上、股間に食い込む小さな薄布に至っては殆どその機能を果たしておらず、
縦一筋を残して綺麗に剃り上げられた恥毛が透け浮いて見えては、男なら誰だろうと悩殺されてしまうだろう。

胸当ての布が細く肌に食い込む他に、何も視線を遮る事のない丸見えな背中の上で、
剥き出しの魅力的なうなじから首筋の周りを、これ見よがしな宝石と翡翠の魔除けムイラキタ
それに色っぽく光る細い金細工のネックレスが幾本も飾り、
そこから細い金鎖が幾本も深い胸の谷間にかけて垂れ下がっているのも、どこか退廃的な美を感じさせずにはおかなかった。

向こうが透ける薄モノがピッタリと張り付き、男なら誰でも“極上の柔肉”と絶賛するだろう、
歩く毎にプリンプリンと惜しげもなく揺れるハチ切れんばかりに突き出した大きな丸い双臀は勿論のこと、
砂時計のようにくびれた細腰、肉の薄い背中のラインから華奢な両肩へと続く凹凸は淫らこの上なくて、
誘うようなそんな服を身につけた目の前の娘が娼婦だと言っても誰も疑わぬだろう。

けれど片方の二の腕には太い象牙をあしらった金の腕輪、逆の腕には精緻な銀製の龍が艶肌にしっかりと巻き付き、
耳たぶにとっては拷問なんじゃないかと思えるほど大粒で重そうな、
琥珀と真珠をブラ下げた陽光を受けてキラキラと眩く輝く金のイヤリングは貴族も羨む細工な多彩金属ポリクロームの装飾品が揺れている。
何とも言えぬフェロモンを放つ肩甲骨の窪みを滑り降りる長い髪を彩るように、
所々に見事な細工のビーズの髪飾りが編み込まれているのは、貴族の令嬢でもそうそうお目にかかれぬ手の込みようだ。

この奴隷の出立のようで、そうは思えぬ豪奢な宝石で飾り立てられた娘は、一体何者なのだろうか?
一目でその美しさが職業的に磨いた艶やかさではなく、荒野でりんと咲く野バラのような、
ろうたけた艶が生来の素質と相まって、その身を輝かせている様子から察するに西方の貴族の娘だろうか?
だとしたらかなりの放蕩娘と言わざるおえないが…
だがそれでは混血児ミュラトールである説明がつかない。
そうか…もしかすると私生児かもしれぬ。
帝都では主人に手をつけられ孕まされた奴隷娘が、毎日のように出来た子供共々に捨てらていれる、
などという無慈悲極まりない話を嫌という程聞かされるからな。
という事は父親が西方の貴族で、母親は砂漠の民タジックの出の奴隷娘かなにかで、運良く父親の庇護の元に育てられたとかいう…


「アノー…?」
「あっと、これは長々と店先でお引き留めして申し訳ない事を。ところ紹介状をお持ちで?」
「手前共の店はなにぶん扱う商品が商品ですので、面識の無いお客様にいきなりお売りする訳には…」



それにも増して、なんだろうか……この違和感は。
上は銀嶺の北壁ハルシヲンから下は南端の炎の土地ティエラ・デル・フェゴまで、
黒色、黄色、褐色、とそれこそ幾千と様々な肌色を持つ女達を見て取引してきた自分だが、
この娘からはどこかそんな女達とは違う何かを感じるのだ。

なんだと言うのだろう? 幼さを感じるかおに反して、淫らすぎる朱唇のせいだろうか?
いや、別に今までにだって、そんな娘を見たことが無かったわけじゃない。
ではなんだ? 華奢なクセにメロンほどもあるおおきな乳房をブラさげているからか?
いやいや、錬金の妙薬でもってあんな風にたわわに乳房を実らせて売り飛ばした牝奴隷は、今までにもいくらでもいた。
それともあの艶やか過ぎる蜂蜜のように甘やかそうな柔肌のせいだろうか?
確かにあのきめ細かさは見事だが、混血児ミュラトールにはそれほど珍しいわけじゃないぞ。
折れそうな細腰に反して、あのムッチリと肉の付いた尻のせいだろうか?
いや、黒魔術を使ってあんな風にグラマラスな姿態を身につけさせた女を、今まで取り扱ってこなかったわけじゃない。
それではなんだ? あの妖しげでいて、儚そうな雰囲気がそう思わせるのだろうか?
……分らぬ。どうにも見当がつかない。この不可解なひっかかりは何なのだ?


「アルデス、とご主人様がおっしゃっていルまス」



男なら誰もが引込まれそうになる微笑を浮かべ、女が我が商会への紹介を兼ねる割り符を扉へ向かってかざした。
娘が差し出した札には、中央奴隷商会の刻印がしっかりと刻み込まれている。日付も新しいモノだ。
なんだ、この印はチェピートのじゃないか? あの部族の恥曝しめ!
最近見かけないと思っていたら、西域で油を売っておったのか。
奴め、まさかとんでもない素人の厄介者を寄越したんじゃなかろうな?
大体、昔からアイツに関わっていい目にあった試しが……まぁ、ともかくどうやら身元は確からしい。


「ご主人様とは? ……もしや、お連れの方がいらっしゃるので?」
「ハイ。ご主人様が、新しイ奴隷娘を幾人か手配スル欲しいと、おっしゃっていルまス」
「ユーリビティカ」
「……!?」


不意に、娘の背後から聞き慣れぬ男の声が女を呼ぶ聞こえた。
いつの間にか忽然と娘の背後に現れた男が、皆目見当のつかぬ言葉でもって何事か話しかけている。
ユーリビティカ、というのがこの娘の名か…しかし、なんだこの言葉は?
どこか西域風だが、初めて耳にする言葉のようだ。
参った、この私としたことが娘に目を奪われすぎていたか。


「こ、これはこれは、わざわざお客人の方からここまでお越し下さるとは…」
「こちらへは当然我が商会の品を吟味しに来られたんでございますよね? ええ、それはそうでしょう」
「わざわざ、茶飲み話をしにこんな辺境くんだりまで、足を伸ばすわけはございませんからね」
「それにしても丁度良い時に来られました。実はここだけの話ですが、
 数日後に出荷される買い手の付いていない奴隷達がまだ店の裏に控えておるのですよ」
「いかがです、そちらをまずご覧になりますか?」


言いつつ扉を引き開けると、目の前で娘がその言葉を背後の男へ伝え、また何事か男が答え返す。
男の顔つきからも、鼻につくくらいハッキリとした舌を響かせる言葉遣いや独特のイントネーションからも、
この男が生粋の西域人だとすぐ知れた。

そういえば西域では、商人は商人同士にしか通じぬ特別な言葉を使い、貴族は貴族でまた別の互いにしか通じぬ言葉を話し、
他にも幾つもの裏と表の言葉があり、知らぬ言葉を使う者同士は挨拶も満足に出来ぬと聞いたことがある。
この男がそのどれを使っているのかは定かではないが、そもそもどうしてそんなに幾つもの言葉が必要なのか未だに理解に苦しむ処だ。
挨拶を交わすのも困難な、そんな国にいてよく西域人達は苦労しないものだといつも思う。
ここエレホンだって、北のソーマニル族に東のハイミナ族、南のノルモネ族等々が雑居し、
幾つもの民族の衣装と複数の部族ごとの言語が交錯する、
さながら砂の民皆が無造作に放り込まれたごった煮のような街だが、少しも意思疎通に困りはしない。

まぁ、だからこそこうして混血児ミュラトールの女奴隷だかを通訳に仕立てて、
ご苦労な事にわざわざ西の都くんだりから砂の海ヴァンダ・デ・カサゴを越え、地の果てまで遙々はるばる乗り込んできたのだろうが…


「それとも、お好みの品を育成するオーダーされますか?
 今の時期でしたら、すぐにしつけを始める事が可能な上玉が数匹手持ちでございますが…」


男が娘に話しかけるその声に自己満足な響きがあるのが聞き取れた。
そして、奴隷商人を見下している事も。
まぁ、大抵こういう連中は多かれ少なかれそういった感情を抱いているものだ。驚くに値しない。
娘の通訳する言葉を聞いて、何か思う所があったのかズイ、と男が娘の影から身を大きく晒した。


「ソレ、全部ナイ、とご主人様言うマス」
「左様でございますか。それは大変失礼をばしました」



煮ても焼いても食えそうにないイケ好かぬ男だ、というのが第一印象だった。
そしてその印象は今もって変わるどころか、ますます強まっている。
年相応の風貌で、じきに50を迎えるかどうかという頃合いだろう。
長身痩躯、薄くなり始めているがきちんと手入れされた白髪交じりの銀髪が柔らかにウェブし、後へ撫でつけられている。

南域の男風な長い髭ウルト・サガルでなく、短く刈り込んで整えられたひげに覆われた固そうなあごに、
しっかり閉じた口、端正だが気難しそうな眉間の皺は一層深い。
薄いスミレ色の瞳は抜け目なく輝き、日焼けをほとんどしていない肌の色は、西域人の基準でいえばかなりくすんでいる方か。
なんとも言えぬ信用しがたい“上品な”目鼻立ち、というのはこういうのを言うのだろう。
確かめるまでもなく額が汗で少しも濡れていず、長途の旅塵りょじんにもまみれていないのは、
ここまで徒歩ではなく奴隷達に担がせた豪華な輿にでも揺られて悠々と来たからに他ならない。

一目で上質と分る織りのひろやかな麻布を肩から掛けて優雅にたっぷりと身体へ巻きつけ、
ご多分に漏れず両手の指には大小様々な細工の施された、虚栄心の塊のような肉厚な太い黄金の指輪が山程ハマっていて、
否が応でもこの男が金持ちなのだと分る。
足元は幾人もの奴隷娘が毎日主人が外へ出かける度に、靴を履かせる手間でウンザリさせられているだろう事がうかがえる、
凝った装飾の上質な編み上げ革サンダル━━
当然の事ながら、砂漠の民タジックは誰もそんなものを履きはしない。
砂が指の間に入り込むし、熱く灼けた石畳の上など歩けぬ、見栄えばかりで実用性が著しく劣る履き物だからだ。
だけでなく、骨ばった二の腕や手首にも、悪趣味な金の腕輪をいくつもジャラつかせるという、
少々どころかかなり鼻につく豪華な銀細工の施されたバックルの、なめし革のベルトをひけらかしている。

全体としてとにかく金がかかった成金趣味の格好で、持ち主の思惑とは裏腹にそれらの装飾品の輝きは、
下賤なイヤラしさを覆い隠す役目を少しも果たせていなかった。
ともかく見たくもないのに、相手をする者にちゃんとソコに注意を向けざるおえない、ソレを声高に求めるようなそんな装飾品なのだ。

倹約という言葉はこの男には無縁なのだろう。
帝国におけるそれなりの有閑階級を演じるには金がいる、どころでない贅沢に手足が生えたような男であった。
そもそも他人の窮地につけ込んで金儲けをする輩、奸商かんしょう連中と同じ臭いが感じられて胸が悪くなる。

オマケに武器の類は、見るからに何も持っていなかった。
そんな必要もない生活を送ってきたのだろうが、決して善人などであるわけがない。
西域人のご多分に漏れず、奴隷をボロ雑巾になるまでこき使い、誰もが顔をしかめる非合法な行いに手を染め、
商売敵か同僚をでも悪辣な手段で蹴落としてきたのだろう。
何をしている男なのかは知らないが、勤勉誠実な務めを全うしたわけでも、
清廉潔白な商いと良心的な品を扱って財を成したわけでもないのは火を見るより明かだ。
役人の目を盗んでの税金逃れを手始めに、ありとあらゆる狡猾な策略を巡らして、
大金を儲けてニヤついているこの男の姿が簡単に思い浮かべる事が出来る。

とはいえ、まぁ驚くような事じゃない。こういう手合いはよくよく知っている。
だが何より気に入らないのは、漂ってくる尊大な野心と放埒な慢心に、どうにも鼻が曲がりそうだ。
それ以上に気がかりなのが、気障きざでいけ好かない金満家を今まで随分な数見てきたが、
目の前の男にはそんな間抜けな貴族には無い、何か不穏で邪悪な独特の雰囲気がある事だった。

厄介な事になる、そんな気がする。
こういう的中して欲しくない予感めいたもの程、当たってしまうというのは神への日々の祈りが足りないせいだろうか?
まぁ、生まれてこの方、一度だって神の声なんて聞いた事も無いし、祈りも捧げてなどいないのだが。


「……え? あっと、これは申し訳ありません、今、なんとおっしゃいましたか?」
「この店は客と戸口で商談をスルですか、とご主人様が怒っているマス」



なんと初歩的なミスだ。
客の観察は重要だが、没入してしまうのはマズイ。
なんとも興味深い2人だが、今は商売に徹しよう。


「おおっと、これは重ね重ね失礼をば致しました」


燭光に浮かび上がる顔が欲に満ちた嫌味なモノに見えぬよう、なるべく愛想良く挨拶して2人を店へ招き入れる。
勿論、西域人好みに握手の手をにこやかに差し伸べ、礼儀正しく半身を引いて。


「ははは。とかく商人というのはやたらと用心深いものでして、どうぞお気を悪くなさいませぬよう」
「何分この地区のような物騒な所では、慎重居士しんちょうこじな者でなければ務まりませんのでね」
「ようこそ、イクブリウム随一の奴隷商ムラヒダ純白の宝石カオマァーニ』へお出で下さいました」



相手が他の用件で訊ねて来たのなら危険極まりない口調になっていただろうが、
例え神をも恐れぬ不届き者であろうと、金の為にその身を売り払った愚か者であろうと、
客としてここへ訪れたのならば話は別だ。


「申し遅れました、手前はこの店を任されております、ユン・ブランカンと言う者です」
「貴方様のようなご立派な方々に、このような陋巷ろうこうのアバラ屋へわざわざお越し下さいますとは、
 誠に『純白の宝石カオマァーニ』の誉れでございますよ」



きちんと整えられた眉の下で色の薄い不可解な瞳が、ジッとこちらを見詰めていた。
ここを訪れる男達が大抵浮かべている、どこか下卑た悪びれる様子も、卑屈な感じも受けない。
どこか押しが強そうな横柄さを感じさせながら、まるで置物を見るかの如き無感動な視線だ。
そもそも奴隷商人などと親しく言葉を交わそうなどと、最初ハナから思ってもいないのだろう。

それにしても、この街の奴隷地区がかなり物騒だと言うのは方々にも知れ渡っている。
なのにこんな時間に、こんな豪華絢爛な格好で乗り付けるとは、身なりを見るまでも無くかなりの自信家なのはまず間違いないだろう。
いや、只単に世間知らずな馬鹿なのかもしれぬが…


「さて。商談に入る前に、まずはお客様のお名前を伺ってもよろしゅうごさいますか?」
「どのような商売であれ、何事も一番大切なのはお客様との信頼だと手前共は考えておりますので…」


娘の言づてを聞いて、途端に男の口調が横柄な態度に変わった。
その口ぶりから察するに、地元ではそれなりの“顔”なのだろう。
教えてやるがオレの名を知らぬはずはないな? と、いうわけだ。
然るべき誠意を持って遇するべきだぞ、と上流階級の気取りで向こうから言外に匂わせている。
この手の男に不満を列挙させ始めたら、百科事典数十冊分になるに違いない。
きっと道楽者として帝都の下町でゴシップにその名がのぼるのではなく、
貴族達の噂話やサロンの話題になって然るべきだと思い込んでいる輩だろう。


「ご主人様は帝都アルタリアの南、テラ・ファルマ一帯を統べる都、
 ネベルネストで一番の大貴族、ヒブリア・ル・イゼベルグ様デス」



打って変わって、この淀みない流暢な物言いはどうだ?
可哀想に、散々こうして奴の長たらしい名を繰り返し名乗らされてきたに違いない。
そもそもイゼベルグ家などというどこの馬の骨だか知らぬ貴族の名なんぞついぞ耳にしたことなど無いが、
西域では一代で希に貴族に成り上がる者も居ると聞く。
長い伝統と誇りを何より重んじるここ砂漠の部族の間では考えられぬ事だが、
この男もその手の新興勢力の一団に属するなにがしかなのかもしれぬ。
そう考えると、その成金丸出しな趣味もむべなるかな、と思えてしまう。
金で地位や金品は買えても、風格や歴史は買取る事など叶わぬものだ。


「ようこそお越しくださいました。イゼベルク様を我が商会にお迎えできる名誉を賜り光栄にございます」
「こうして無事ここへ到着なされた事を神に感謝しましょう」
「砂嵐の季節ではないとは言え、ネベルネストからの長旅さぞ疲れだった事で御座いましょう」


まぁ、ともかく夕食には絶対に招きたくない野郎なのは間違いない。
兎も角ここ奴隷商ムラヒダの工房先に、このお偉い貴族様はいかにも場違いだった。


「いかがです、香辛料入りのよく冷えたワインでも持ってこさせましょうか?」


ワインという単語に反応したのか、男が無言のまま眉をクイッと片方だけ上げた。
それから下卑た笑いを口元にこびりつかせて、神経質そうな表情を初めて見せたかと思うと、娘の耳元で何事かを短く鋭く告げる。


「あ〜〜〜…イラナイ、と言ってマス。砂漠のお酒はご主人様のお口に合う、ナイです」
「ソレに飲むモノなら、表の輿にも馬車にもたくさん持ってきてるダカラ、心配いるナイですヨ」
「それより、早く商品を見せて欲しい、ト言うマス」



絶対にそんな風に答えていないクセに。
質の悪さを生姜しょうがで誤魔化したような、こんな国の不味い酒が飲めるか、とかなんとか吐き捨てたのだろう。
察するまでもなく舌のおごった男だ、もっと酷い罵詈雑言を洩らしているやもしれぬ。
見たままに冷淡で自己中心的な、傲慢と奢侈しゃしの塊のような男だ。
爛熟らんじゅくの都と噂に高い西の都からはるばるやって来た男に相応しく、
これまであらゆる飽満と欲望を喰らい、身を委ねてきたに違いあるまい。
まぁ、ここへ訪れる連中の誰一人として高い道徳規準など持ち合わせて居るわけはないか…
そもそも道徳のなんたるかなんて事を、己の過ごしてきた人生と照らし合わせて、
あれこれ悔い悩むような連中がこの頽廃の極みへ足を運んでくるはずがないのだから。


「左様で御座いますか。それは失礼を致しました」
「では、早速どうぞこちらへ」


努めて平静な声音で、古風に折り目正しい物腰での応対をする。
無礼には偽善で応ずるのが、商人の常だ。
そうと知ってか知らずか、うやうやしく頭を下げる私の鼻先を、2人が悠々と通り過ぎていく。
コルク底の革紐結びのサンダルにジャラジャラしたアンクレットを足首で涼やかに鳴らし、
彼女のほっそりした締まりのよい脚が滑るように近づいてくるのが見えた。
飼い主以外には、決してそのアンクレットに隠れた足首も、薄布に隠された太腿の付け根も、見せる事を許されぬ女だ。
チラ、と上目づかいに様子を改めて盗み見る。
奴よりとんでもなく若く、まだ14、5、よくて17といった所のうら若い媚少女で、
その横顔には年相応の線の柔らかさが浮き彫りになっている。
けれども半ば以上剥き出しの乳房や尻の割れ目の上にゾロリと刻まれた西域文字の入れ墨に、
透け見える薄モノに包まれた美脚を見るまでもなく、彼女がコイツにとってどんな存在なのかを十二分に示唆していた。
商談の為に通訳などさせているがどう見たってそれは表向きで、
実際は夜な夜なコッテリと全ての穴という穴でもってシモの世話をさせている性奴隷に違いあるまい。
最初見た時は気がつかなかったが、いくら天使のように綺麗な手足をしていようとも、
この娘も所詮は“肉欲”という逃れがたい病にその美しい肉体からだのみならず、
魂の奥深くまで蝕まれてしまった哀れな性奴隷の1匹に過ぎぬのだろう。


『一体、アンタはどれだけの罪もない少女達を今までに嬲り抜き、
 肉に溺れさせて骨の髄までしゃぶり尽して来た? どれだけの女達を使い捨てにしてきたんだ?』



とは、思ったが当然口にはしなかった。
まぁ、その数が百だろうと千だろうと、それは私にとってどうでもよいことだ。
親と娘ほど歳の離れた少女を手込めにするのは卑劣極まりない事だし、決して褒められた事でもないが、
“新しい友人”になるはずの男が例え美少年の尻を撫で回していようとも、
そんな“個人的嗜好や趣味”について一々どうこう苛立つ理由も必要もない。
大体が西の帝都のみならず、昨今は命の値段は安いものなのだ。
とりわけ奴隷の命は。

それにコレは自分にとって、ただの商売でしかない。
行儀良い道徳家同士の会話でもないのだ。
そう、ただの商用取引。よく店先で交わされる密談のような戯れ言の一つ。
あれやこれや悩むのは止めよう。でなくとも、もう心配事は手に余っているのだから。
それに太古の昔から、こうして支配する男の善し悪しや気まぐれによって、
無慈悲なまでに女の運命というのは定められて来たのだから、なんら奇異な事でもない。
とにかく目の前の男はいけ好かないロクデナシで、女は金のかかった工芸品というわけだ。


「しかし、お客様は本当に運がよろしい」
「ここだけの話ですが、来週には東のカラ・ホンとトル・ファンへ向けて手前共の荷を積んだキャラバンが、
 ちょうど出立するところだったのでございますよ」
「出荷前の商品を一足先に吟味出来る機会など滅多にある事ではありませんからねぇ」
「勿論、わざわざここまでお越し下さったのですから、お値段の方も色々勉強させていただきますよ」
「当商会では白から褐色、中原の黄色、果ては銀嶺の北壁ハルシヲンから、
 最南端の炎の土地ティエラ・デル・フェゴに居る消し炭のような黒い肌と、一級品から珍品をよりどり揃えて御座います」
「必ずやお客様にご満足頂ける商品を、お買いあげいただける事と存じますよ」
「いかがですか、銀嶺の北壁ハルシヲンで先日、人狩りが仕留めてきた珍しい娘が一匹おりますが?」
「噂に違わぬ雪のようにしろく艶やかな肌をしておりますし、
 たんまり旨いモノを喰わせておりますので乳房の張りや重さも大変よろしく、尻も肉感的で形も申し分ございません」
「下の方も前後とも、抜群のとろける使い心地に仕上がっておりますのは私めが保証致しますよ」
「そろそろ方々の貴族様から予約の便りも届いて来ておりますので、
 この手の珍品はお早めにお買いあげいただいた方がよろしゅうございます。いかがなされますか?」
「アー……」



少々情報量が多かったのか、今の口上を巧く娘が伝えるのに四苦八苦しているようだ。
まぁ、奴隷娘に操れる言葉なぞたかが知れていると言うものだからな。



「おお、これは申し訳御座いません、先走ってしまって」
「大事なことを忘れておりました。まだお客様のお好みを伺っておりませんでしたね」



男が短く、少女の耳元で囁いた。
その単語は聞き覚えのある、貴族様にはお馴染みの言葉だ。


「んー……買うのは大切なお客来る、大きな宴の、言うマス」
「成る程。客人を招いての盛大な宴用に奴隷を新調しよう、と?
 それはさぞ素晴らしい宴になるのでしょうなぁ」



なんだかんだとトンでもない注文を突きつけてくるのかと思いきや、宴用とはな。正直拍子抜けだ。
そんな程度ならそこらの奴隷商会でちょいと高そうな奴隷でも掻き集めれてくればいいのに、全く貴族って奴は…
めまぐるしく頭の中の帳簿をめくりながら、宴用の奴隷で売り飛ばせそうな品のいくつかに目星を付ける。
今ならうまいこと余剰の奴隷が潤沢に居るし、大抵の要求には応えられるだろう。
とはいえ、貴族連中の宴だ。トチ狂ったド変態な嗜好を凝らした宴とも限らぬ。まだ油断は禁物だ。


「こんな砂だらけの街に根の生えた私などではトンとお目にかかれぬ、それは素晴らしい宴なのでしょうねぇ」
「結構ですな、さすがはネベルネストで一番の大貴族、イゼベルグ様でいらっしゃる。
 所でご予算の方はいかほどのご予定で?」



その問いはさすがに分ったのか、娘が翻訳する前に鋭く男が言い放った。


「あー……お金、たくさん。必要な量出ル、ご主人様言うマス」
「おお、これは剛気な。やはり大貴族様は言う事が一味違いますなぁ〜〜」



なるほど…金に糸目を付けぬ大馬鹿者か。
ほとほと貴族と言うやつは、金にあかせて牝奴隷を買い漁る輩が多くて呆れ果てる。
まぁ、いいさ。金で色を買おうと、貪ろうと、私の知ったことじゃない。


「お客様、つきましては我が商会の商品の説明に少々お時間をいただいてもよろしゅうございますか?」
「なにせお客様が求められている商品は先月といわず、年中方々から注文が殺到している商品でして、
 もう在庫がなくなりつつあるのです…」
「とはいえ、せっかく当商会までお越しくださり、このように知り合ったのも何かの縁ですから、
 出来る限りお客様のご意向に沿うような商品をご紹介させていただきます。よろしいでしょうか?」



これは巧いこと言葉が見つかったのか、手短に娘が囁くと男が小さく頷くのがわかった。
相変わらず無愛想でいけ好かない表情は崩れていない。


「ご主人様がが言う。スグ、お願いするが、いいデスか?」
「ええ、ええ。手短に。そうですよね。分っております」
「では、これから手短に私共の商品をご説明させていただきますが、
 その前にお客様のお好み等を的確に捉えておいた方が後々、なにかと都合がよいと思うのですよ」
「差し支えなければ、ひとつ、ふたつ、御質問させていただいてもよろしゅうございますか?」
「ご主人様、構わない、言うマス」
「それでは、まずは大切なお客様を招いての宴に必要との事ですが、
 お求めの奴隷は全て娘でよろしゅうございますね? 男の子は合わせてご所望ではない、と」
「ハイ、言うマス」
「ええ、ええ、そうでしょうとも。で、特に肌の色にはこだわられないのですかな?」
「ハイ、言うマス」
「左様ですか。でしたら手近に品の具合をお確かめいただけるちょうどよい商品が御座います。
 どうぞ直にご覧になってご判断下さい」



愛想笑いを浮かべながら店の奥へ2人を招き入れる。
普通の奴隷店や娼館などなら、エントランスに続いて必ずあるのは、
訪れた客に意中の奴隷の容姿や具合を気分良く検分させる為の部屋だろう。
だが生憎とここには、そんな小洒落た場所は無かった。
どんなに疲れた男だろうと身を投げ出せばたちどころに苦労を忘れさせてくれるような、
巨大な長椅子も無ければ、パンパンに詰め物をした柔らかなクッションも有りはしない。
執務と帳簿のやり取りが行われる部屋以外で、牝奴隷共が飼われていない場所などないのだ。
当然だろう。ここは奴隷商会の工房なのだから。


「おっと、足元にご注意下さい。タイルが滑るやもしれませぬ」
「手始めにきっちりとしもしつけを施しますが、希に感極まって小水を洩らす、
 なんて粗相をしでかす間抜けがおるやもしれませんからね」


勿論そんな事は今まで一度だってありはしませんよ、と言わんばかりの満面の笑顔を浮かべ、2人を狭い通路の奥へ先導する。
木戸をくぐるとすぐに、視界を遮るボロボロなむしろの如きクズがブラリ、
と戸口に垂れ下がっていたのを客人は怪訝に思ったようだ。


「見苦しい物で申し訳御座いません。こちらに匂いが流入してくるのを防ぐ為の仕切のようなモノです」
「まぁ、昔ながらのまじないの意味もありまして…さぁ、お気になさらず先へお進み下さい」



見かけはクズだが、しっかりと賊を懲らしめる為の強力な錬金術が組込まれているボロですよ、
などと詰まらぬ説明は不用だろう。


「……?」


双方とも言葉を発したわけではないが、
その様子から目の前に現れた情景が完全に予想を覆していただろう事がうかがえた。
奴隷小屋には扉も窓も無くて薄暗く、延々と続く手入れされる事の無い狭い通路には、
塵や汚物が放置されて耐え難い悪臭が籠っている、とでも思っていたのだろうか?
まぁ、確かにそういう粗末な商いを行っている奴隷商の方が多いのは確かだろう。
だがここはエレホンでも随一の奴隷商だ。
そこらの奴隷市の競り会場の裏口でクダを巻いているゴロツキ商人の店と一緒にしてもらっては困る。


「驚かれましたか? はは、ここは工房ですので、このような風変わりな造りになっておるのです」


きっと奴隷達が詰め込まれた小部屋が延々と狭い通路の両脇に連なり、
そのどれもがびっしりと鉄格子が閉ざされている、などという情景を予想していたに違いない。
だが目の前に拡がるのは、大の男が両手を拡げて横一列に3人並んでも両端の壁へ手が届かぬ、
開けた空間がそこには在った。

奴隷小屋に付き物のえた悪臭も糞尿の匂いも無く、
外とは打って変わってネットリと程よく湿り気を帯びた空気に高価な香の煙が漂っているのにも驚いたのやもしれぬ。
この客人の事だ、物見遊山で訪れた街々で、狭い牢に放り込まれて男達に値踏みされる女奴隷達や、
裏路地の薄汚れた女郎部屋で休む間も無く働かされる商売女は勿論のこと、
湯水のように金を使う貴族専用の高級娼館にだって足繁く通ったに違いない。
その2人に今、見上げても薄暗いその先が良く見えぬ高い天井と、
無機質な石床、そして冷え冷えとした石壁が延々と奥へ続く、中央に木戸のある漆喰壁で行き止まっているだけの、
ここがどのように見えているだろうか?

腰壁で簡単に区切られただけの仕切が延々と等間隔で通路を挟んで奥へ続くだけで、視界を遮る壁も柱も何もない。
その腰壁は大人が大の字になって寝転がっても十分に余裕のある間隔に設けられ、
仕切ごとに2、3匹づつ奴隷が石壁に鎖で繋がれて、気怠げにその豊かで美しい身を藁敷きの床に横たえている他、
薄暗い部屋の真ん中を突っ切って木戸へ続くタイル張りの通路と、
石壁に規則正しい間隔で彫り込まれた小さな丸い空気穴のような窓以外に何もない、素っ気ないこの部屋が。


「ご存じないでしょうが、最終検査も兼ねて注文通りに仕上がった牝奴隷達が出荷までのわずかな間、
 放り込まれる大部屋のようなモノなのですよ、ここは」
「元々はお察しの通り、奴隷達をしつける為の住居でもありましたけれどね」
「大昔はここで上級奴隷達を、お客様に買い上げていただくまでの数年間、調教師や先輩奴隷の元で、
 己の使うべき言葉や従うべき生活習慣を幼い頃からみっちりと覚え込ませたそうですよ」



古めかしい大きな鉄の首輪で繋がれた娘達は皆美女揃いの上、ほっそりとした身体にアンバランスなくらい大きな乳房や、
丁度いい具合な肉体からだの割りに小さい胸とその体型は多種多様で、
けれど引き絞られて今にも折れそうに見事にくびれた細い腰つきや、
丸々と張り出して肉がみっちり詰まった弾力感に溢れる双臀、そして野生動物の如きしなかな脚線美は皆共通していて、
一様に磨き抜かれた美貌とプロポーションを持っていた。
普通ならこんなに美しい極上の肉体からだの娘達をこれだけ大勢探し出すだけでも、
金がかかる上にさぞ骨の折れる作業であるのは間違いない。
帝都は言うに及ばず、美しい奴隷娘をどれだけ多く飼い慣らせるかが貴族間での財力の多さを示すものだからだ。

そんな極上の娘達を金さえ積めば好きなように出来るかもしれぬ、
己の上で細腰を前後左右に振りたてて、その身に大粒の汗を幾つも浮かべ、
しっとりと肌を艶めかせながら、乳房を突き出すようにしてますます自分だけを終生変わらず想い焦がれ、
奔放に肉欲を貪り狂わせられる、と夢想したら男なら誰だろうと興奮し、猛りってしまう事だろう。
実際、この私でさえ仕上がった奴隷娘達の放つ濃密な牝の色香に、股間の疼きが抑え切れぬ事がしばしばな程だ。

だがここに放り込まれている娘達は、便宜上個体を区別する為の文字が縫いつけられた、
僅かばかりの薄布で出来た腰布の他は何もつけていない半裸姿であったが、
そんな男の煩悩にまみれたベタつく視線に全身を隈無く視姦され尽そうとも、
既に“処理済”なのでこうして誰が部屋に入って来ようと驚きも騒ぎもしない。
滑らかな大理石のようなしろや、ネットリと汗濡れた蜂蜜のような褐色の肌のその身を気怠げに横たえ、
引き締まった肢体をクネらせる度に豊かな乳房や尻を艶かしく揺らすものだから、
あたか
も男を挑発しているように思えるがそんな気は少しも無いのだ。
ただ静かに心に刻み込まれた主人の下へ己が送り出されるのを、息を潜めて待ち焦がれているだけなのだから。

いや、もう何も考えてなどいやしないかもしれぬ。
あれこれ悩むだけ無駄だと、大抵の奴隷ならとっくに気がついているだろう。
誰だろうと、遅かれ早かれハッキリと思い知らされるのだ。
“希望”なんて白昼夢だ、と。
どれだけ求めようと、焦がれようとも。
牝奴隷達の暮らしはいつだってお先まっ暗で、希望などと言うものは一欠片も在りはしないのだから。

同じ日に調教の始まった娘達が100人いるとしよう。
年齢や体格の差は多少あろうが最低でも週に6人や7人は、
厳しいしつけと与えられる薬入りの食事のせいで心を壊すか、バタバタと死んでいき、
一ヶ月後には半分以下しか生き残れぬ、そんな絶望的で悲痛な気持が絶えず消える事の無い、陰鬱な生活。
些細な過ちでも容赦なく罰を与えられ、ムチをふるわれてあおぐろい痣は絶えず、
出血する傷口に塩や小便を摺り込まれ、ボロボロなその上に淫らな仕置きを強いられる、耐え難い苦悩の連続。
日々の食事は育成優先で味なんて最低の、濃厚な精液が女の性を刺激して肉体をより女性的に変貌させるのだ、
との考えから与えられる精液まみれの僅かばかりの極悪な代物で、
休息時間や休みの日でさえなぶり抜かれた傷や無理矢理飲まされる媚薬、
そして乳や尻に毎日欠かさず塗り込まれる妙薬のせいで、日に日に淫らに様変わりしていく、
そんな呪わしい疼く肉体からだを抱きしめて、震えながら浅い眠りに落ちるだけの夜。

その兢兢きょうきょうとした毎日の、どこに慰めを見いだせるだろう?
全て支配者である男に都合のいい虚偽のイメージと信仰が徹底的に弱り切った魂に焼き付けられ、
義務と罪がデッチ上げられてしつけられ、それに基づいて理不尽に罰せられ、なぶり叩きのめされ、
全てを諦めちていく他ないのだ。
そうしてここに居る牝奴隷達は人間としてではなく、家畜同様…
いや、ある意味で家畜にも劣る無慈悲な扱いを受けて、調教を終えると方々へ売り飛ばされていくのだから。


「ああ、ここの奴隷共が大人しいのが不思議ですか? 普通、奴隷は騒がしいものですからね。
 ですが別に重い病なわけでも、怪しい術にかかっているわけでもありませんのでご安心を」
「……ソウ。ナゼ、静かスゴク、とご主人様が聞くです」
「実はこの商品には、既にお買いあげになられたお客様の顔と声でないと正気に戻らぬような細工が施してあるのですよ」
「……?」
「お分かりになりませんか? それはね。安全と信用の為、ですよ。お嬢さん」
「つまり、お買いあげになったお客様が真っ先に商品をお使いになられるのだ、という証の為でして」
「微塵もそんな事態を望んではおりませんが、キャラバンで長い旅の間にどのような不遇な事故や、
 不埒な事が起こるか分ったものではありませんからね」
「万が一にもそのような避けられぬ不幸な事故が起こってしまった場合でも、
 お客様の手元へ届く事なく何者かに御注文頂いた商品が辱められる事はございません、という事ですよ」
「何者かがその商品を我がモノにしようと肌を重ねると、瞬時にその奴隷は絶命し、
 手近にいる者も巻き込んで語るも恐ろしい死の呪いを撒き散らす事になるでしょう」
「そのような最悪な場合も、お代をいただくことなく速やかに注文通りの同じ商品をお届けに上がりますので、
 お客様にはご迷惑はかからない、という次第でございますよ」
「我が商会は約束を決して違えぬ、が重要なモットーの1つでございますので、
 ご愛顧頂いている方々にはそれなりに長い間ご贔屓ひいきを承っております」



多少芝居がかった説明になってしまったが、だが今の口上は目論み通りに男の好奇心をある程度は満足させられたようだ。
まぁ、こういう調教済品をここに置いておくというのは、今のような……
つまり、なにかと言いがかりを付けて店の中へ足を踏み入れようとする輩共のスケベ根性や、
好奇心を最悪ここで満足させてやって追い返す為の、長い商の経験が産んだ施設であるとも言えよう。


「どうぞこちらへ。近くで眺めるだけでしたら、今の状態は寝ているのと代わりないのでじっくりとご鑑賞下さいませ」
「この娘などはいかがです? 等級は2級品ですが、1級の牝奴隷にだって少しも劣らぬ使い心地でございますよ?」



そう言いつつ手近な1匹の奴隷へ手を伸ばし、秘肉の間を行き来する指先に合わせて、
包皮に覆われたままのクリトリスを荒々しくもてあそぶ。
途端にクチュクチュと淫靡な水音を弾かせて愛蜜が溢れ出し、濡れそぼる指先を滑らかに動かしてほんの少し快感を紡ぎ出してやる。
たったそれだけで、熱っぽい吐息と嬌声を漏らして甘く喘ぎながら淫蜜の飛沫を飛び散らし、
目の前に迫った絶頂へと迷うことなく一気に飛び込んで呆気なく果ててしまった。


「いかがです? 今のコイツ等は剥き出しの性感帯の塊となんら変りないのですよ」
「ですので、このように容易たやすくイク、というわけでして…」
「さぁさぁどうぞ、味をお確かめ下さい」



ほんの先程まで肉溝をまさぐっていた淫糸をひく指先をぺろりと舐め、牝奴隷の分泌した愛蜜の味を確かめて見せる。
促されるままに男も牝奴隷の股へ指を突っ込み、泡立ちヌメる蜜をすくい取って舐めた。
そんな私と主人の行いを、連れの娘は恥じ入るわけでもなく無言で静かに見詰めている。


「いかがです? 控えめな甘酸っぱさとかぐわしい香りが、なかなかでございましょう?」
「お好みとあれば胸の方からも甘い母乳を搾れるよう調整出来ますよ?
 しかし、何とも牝とは面白い生き物ですなぁ」
「同じ肉体からだから分泌されるわけですが、こうも上下で味わいが違うのですからねぇ」



牝のこぼした蜜の味わいに満足したのか、この下種ゲスな冗談が気に入ったのか、
男は娘の囁きに耳を傾けながらニヤリ、と口元を歪めた。
まぁ、なんにせよ今のところ、機嫌は上々のようじゃないか?


「これと同じ血統の牝奴隷が、ほどほどの調教具合で粗相をしでかすほど幼過ぎもせず、
 さりとて歳を取りすぎてもおりません商品がまだ数匹、幸運な事に今でしたらご購入頂く事が可能なので御座いますよ」
「本来ワンオフなオーダー製のはずなのに、同じような奴隷をなぜそんなに飼っているか、不思議ですか?
 はは、いえいえ別に怪しい魔法でもなんでもありませんよ」
「元々、商品の依頼が来た時点で私どもは、万が一の事故や病気に備えての余剰奴隷として、
 同じ条件で複数匹の奴隷の飼育と調教を始めるのでございます」
「ですので、任意の飼育を完了させておらぬだけで、この牝と品質としては何ら劣る処は御座いません」
「たまたま今回は本命のこの牝が比較的早くに仕上がってしまいましたので、
 そちらの方の牝の育成は現在一時的に止まっているだけでして」
「魂への多少の刷り込みと調教は施しましたが、まだまだ飼育もすっかり済んでしまっている訳でもありませんし、
 手つかずな処…例えば、尻孔の味わいやその使い込み具合、それに口淫奉仕の技等々」
「まだまだお客様のお望み通りに、初めからいくらでもしつけていく楽しみも残っております」
「新しくお客様のお望みを伺った上で、飼育を含めて半月ほどお待ち頂けれるならば、
 すぐにでも引き渡せるという大変お買い得な商品ですよ?」
肉体からだの方はこれご覧の通り、大貴族ですらおいそれとは手に入れられぬ一品なのは確かでございましょう?」
「歯並びも良く健康状態も良好で、肌の艶や張りも申し分ありませんのは、
 ご覧いただいて分っていただけるものと思います。普通なら数年待たされる優れもののこの牝奴隷が、
 今ならすぐお手元に届くわけですからね」



満面の笑みでもって商品説明を続けるが、男の反応は薄い。
案の定、予想通りな言葉が娘の口から出てきた。



「ソレ、違う言うマス。ご主人様、欲しいの…ソレじゃない言うデス」
「おや? 調教済の商品ではお望みの務めを果たせませんか? 宴用と伺ったので、
 てっきり調教済の奴隷をお求めかと早合点してしまいました」
「ははぁ……なるほど。最近はそのような嗜好を好まれる方も確かに増えてこられましたからね。
 なにやら都ではそういうのが流行でおるそうですよね?」
「一から自身で全てしつけられるのをお望みな方が、最近は多いとか…」
「では、今回は全て何も施しておらぬ素のままの、生娘をお望みですか?」



成る程ねぇ。年端も行かぬ生娘を喰い物にしつつ宴を楽しむとは、都の連中はほとほと狂っていると見える。
まぁ、いいさ。最近も大勢の少年奴隷がそうやって売り飛ばされてジジィ共の慰み者になったと噂に聞いたばかりだ。
この男もその類の、マトモな行為じゃ性欲を満たせなくなってる、自称インテリな上流階級様なんだろうさ。


「勿論、それでも全く問題ない従順で大人しい牝奴隷を、当商会では10の幼子から13、4頃まで、
 お好みに沿うような商品をご用意させていただきますよ」
「調教していない状態では危険では? と、やはりご心配ですか? いえいえ、ご安心下さい」
「何代も前から奴隷に奴隷を孕ませて、生まれる前から奴隷と定められた奴隷達の血統を脈々と受け継ぐ、
 奴隷商の老舗である我が商会ならではの商品で、使い心地も馴染み易さも数多のお客様からよろこばれている、
 正に奴隷になる為に生まれてきたような娘達ですから」



実際、小さな女の子や男の子を望む病んだ輩は実に多い。
しかも見かけが良いとなると、そうたまは無いのが現状だ。
いきなり押しかけてきて、そんなにホイホイと買える商品じゃないと言うのに…しかし、後々の商売も考えて無下には出来ぬ。


「ですが……まぁ、これは私の個人的な意見ですが、
 地味で手間のかかる調教などの面倒は当商会のような奴隷飼育のプロに任せていただいた方が、
 なにかと問題も少なくお客様の為にもよろしいかと存じますが…」
「やはり大金で購入されるわけですし、このままではお客様のお望み通りピッタリという商品が必ず居るとはいきませんでしょう?」
「お客様が生娘をお望みなのは分りますが、なにせ素のままというのは宴の席で少々危険というか…」
「なにせ獣同然ですからねぇ、あの手合いは。お客様の大事なお友達に粗相があってはいけません」
「ああ、生娘でなくては意味がないのは重々承知しております。ですが奴隷商の秘薬と錬金術を用いれば、
 調教済の誰彼構わず股を開くビッチだろうと、たちどころに身も心も生娘同然に、膜も新品へ戻して差上げますよ」
「もし今月ご予約いただけますなら、3ヶ月後…遅くとも龍の月のトリトナ…
 いやキネシスの週までにはその場ででもご賞味可能な、生まれながらに奴隷の血統を受け継ぐ娘を、
 お客様のお好みに即した商品に仕上げて納入させていただきますが?」
「いかがでしょう。この機会に一からお好みに合う飼育を施した、安全な調教済牝奴隷のご購入を検討されては?」
「そのような商品でしたら、今ご契約いただけますと特別に割安にさせていただきま━」
「まだ契約する言ってイナイ、もう納入時期の話デスか? ソレ、困るよ。商売スル人、みんな怖い言うマス」


遮るように少女が言葉をかけてきたのは、大貴族様が焦れたからだろう。
しかし、今の説明はちゃんと伝わっているのだろうか?
少しも興味ありそうな仕草も質問もしてこないとは、もしや目的の品の条件が生娘なだけではないのか?



「はは、これはまた手厳しい。しかし、確かにこれは申し訳ありませんでした」
「浅ましいとは分っていても、ついつい要らぬ事まで説明してしまいたがる悪癖を、
 商人というのは誰でも多かれ少なかれ棲みつかせてしまっているものでして」



苦笑いしつつ鷹揚に少女に何事か男が語りかける。
まぁ、今のは言葉は通じずとも卑屈な商人の態度と身振りで、何を言いたいか分った、という所だろう。
しかし、これはどういう事だろうか? 何か私は交渉方法を違えたのだろうか?
わざわざこんな所まで押しかけて来たくせに、どうにもこの客はひっかかりが弱い。
ううむ……もう少しさぐりを入れてみるか。


「そうそう。生娘は生娘でも、他にも一風変わった牝奴隷というのも我が商会は扱っておりますよ?
 例えばあちらの小部屋で繋がれている牝奴隷共などは…」



これも少女を介さずとも、こちらの意図がすぐに伝わったようだ。
手招きに誘われ、ズラリと牝奴隷達が壁に鎖で繋がれた間を縫って、指し示した木戸へ2人が近寄ってくる。
奴の身のこなしは尊大ながら、さすがに帝都から来ただけあって優雅だった。


「こちらの向こうからは、二重戸になっておりまして…さぁ、どうぞこちらへ」
「本来なら関係者以外には、決して見せぬ代物なのですが…」
「今回は、わざわざお越し下さったお客様ですので、特別にお見せ致しましょう」



木戸をくぐると、僅かばかりの間隔でまた木戸と壁が在る。
今度はさきほどのような開けた空間ではない。天井は低く、手を伸ばせば届きそうな程だ。
そして、正面には人が一人歩ける程度の間隔しかない、細く肩が当たりそうな狭く暗い、穴蔵のような通路が1つだけ。
突き当たりには、さっき入ってきたのと同じような木戸が1つ。
壁には燭光が在るものの灯りは極めて弱く、部屋全体が薄暗くい上にさっきとは打って変わって、
鼻を突く糞尿の臭いと空気が妙な蒸れ具合なので、誰だろうと不愉快になるだろう。


「少々訳あって、今は糞尿まみれの藁敷きの床にその身を横たえておりますが、
 質には問題は全く御座いません」
「どうぞ、こちらのノゾキ穴から中の様子をご覧下さい」



指し示されて初めて狭い通路の両脇の壁に、これまた背の低い小さな戸がずらり、
と幾つも並んでさながら小人の集合住宅のような様子なのに2人は気がついたようだ。
男の胸辺りまでしかない小さな戸の上端に、横に開く細いノゾキ穴が開いている。


「本来ならここへ引っ張り出して、お客様の前でご説明をするのが筋ですが、
 今の段階ではコイツ等は音や光りに酷く敏感でして」
「こうして狭苦しい箱部屋へ押し込んで身動き出来なくしておく方が、大人しいのですよ」
「……?」


ひたすらにへりくだった私の態度が気に入ったのか、絹のごとき笑顔を浮かべて男が近づいてきたが、
不意に妙な顔をして分厚い唇をすぼめた。
きっとスタッコの壁や石畳の床にこびりつき、部屋中に漂うばかりか燭光の灯りにモヤのような膜を投げかけている、
無視することの出来ぬ湿っぽい絶望の臭いに感づいたのだろう。
誰の絶望かって? 無論、私じゃない。
売り飛ばされていく哀れな奴隷達のだ。


「さぁ、どうぞ。ご覧下さい」


促されてノゾキ穴から薄暗い小部屋の中を覗いた男が、息を呑むのが分った。
……成る程、この男はこんな一級品の奴隷を連れてはいるが、この手の錬金奴隷の知識にはうとい、ということか。
金は持て余してはいるが、まだまだ色と欲の限りを喰らい尽した性豪でも倒錯者でもなさそうだな。


「…いかがです? 実に淫らで罪深い肉体からだをしているでしょう? パンパンに張ったあの大振りな乳をご覧下さい。
 こう見えて、そこそこの値のする商品なんですよ、コイツ等は」



ノゾキ穴の向こうで、艶かしい闇がうごめいたように男には見えた事だろう。
四つんばいになって肩や尻を押しつけてやっと収まる狭さの空間で、
糞尿まみれのままぎゅうぎゅうに押し込められた幾人もの牝奴隷達が鎖で手足を繋がれ、
静かに息を潜めながら、ブラ下がった重々しい巨大な乳房を揺らしながら、当てもなく次のエサの時間を待っているのだ。


「こういう格好で押し込められていると、本当に牛そのものに見えるでしょう? ええ、そうです」
「ご覧の通り数世代前から獣の要素を錬金術で合成し掛け合わせて安定させた、
 奴隷市では滅多にお目に掛からぬ変わり種、俗に錬金奴隷キリエと言われる、
 私共は“乳獣”と呼んでいる奴隷共ですよ」
「よく熟れた特大の西瓜のような乳房が示すとおり、コイツは牝牛の要素を組み合わせて編み上げられた品種でして」
「獣の血が混じっているからかどうか知りませんが、この種類の錬金奴隷キリエはこうして薄暗くして糞尿まみれのまま、
 藁まみれで小部屋へ放り込んでおく方が出荷前は大人しい、というのが悩みの種でしょうか?」

「勿論、お客様のお手元に届いた後、主従の契りを結んだ暁には無垢なる魂も安定しますので、
 普通の性奴と変わらぬ扱いをしていただいても結構なのですけれどね」



薄暗い飼育部屋の中で蠢く異形の牝奴隷に気圧されていた男も、案の定今はその悪臭に顔を歪めて辟易している。
この程度の糞尿臭でそんな顔しなさんな。コイツ等のタレる小便や糞なんざ、とんでもなく控えめな方なんだから。
まぁ、貴族様はうまやの掃除なんぞせぬだろうし、コイツはキツかったかな?


「見た目はそこらにいる胸のおおきな牝奴隷と大差ないようですが、
 その身と血には獣の資質が混じっていますので育成速度が通常の牝奴隷の倍な上、
 甘くて旨い乳が搾れると、なかなかの評判をいただいております珍品種なのですよ」
「どうです、あのズッシリと重そうに実った乳房をご覧下さい。ぎゅうぎゅう搾りたてて心ゆくまでかせてみたくなるでしょう?」
「ここに飼育されているのは、調教も殆ど進んでおらぬまだまだほんの若い“乳獣”達でして。
 お客様がたっぷりと可愛がってやればどんどん乳房は大きく重く、味わい深くなるのは私めが保証致しますよ」



実の所、この“乳獣”共は納品された後、数日間だけ秘薬の投与を受けただけで乳房は特異な変化を遂げ、
まるで奇病にでもかかったの如き勢いで、飼い主の望むままに空気で膨れあがる風船の如く易々と巨大化するのだ。
醜悪なまでに大きく腫れあがった乳房に伴って乳輪は掌ほどに引き延ばされ、ちきった乳首は正に牝牛そのものな、
人差し指の第2関節位の大きさ程に肥大化し、二度と己の足で歩く事も出来ぬ異形に成り果て、
死ぬまで母乳をタレ流す呪われた運命のままに、2、3年あるかないかの短い生涯の全てを搾り尽されて終える事だろう。

手早く育つ上、従順という、そんな良いことずくめな人気商品なのに、どうして市場に出回らないのか?
誰だってそう思うのは無理もない。
勿論、表向きには余り知られていない諸般の問題点があるからこそ、数が出回らないのだ。

1つには、この手の“乳獣”を飼育出来る環境を整えるのに、酷く金と手間がかかるという事。
今1つは、その飼育方法が実に特異で困難だと言う事だろう。

ここに飼われている“牝牛の因子”を埋め込まれて生み出された錬金奴隷キリエなどは、
たっぷりのミルクを搾れるように、おおきな紡錘形になるよう乳腺が活性化する処理を施されている訳だが、
その育成過程で錬金術と薬品漬けとも言える、納品前の数倍に膨れあがる乳房が酷く過敏に仕上がってしまい、
些細なミスで全身の穴という穴から体液をタレ流しながら過労死する個体が続出するのだ。
勿論、男ならば誰だって鈍感より敏感な牝の方が当然好ましいだろうが、
直立すると無惨にも腰骨まで垂れ下がる程に膨れあがる二房の肉塊は剥き出しの性感帯も同然で、
指で触れる事もままならぬときては、育てる術も甲斐も殆どの者は無い、と手を出すのを諦めるだろう。
実際、このエレホンでさえ毎年数千匹の錬金奴隷キリエ達が、育成途中の失敗で死亡し、
惨たらしい様相を晒して遺棄されているのだからその困難さが知れると言うものだ。

そして、そんな困難な調整が出来るのは数多の奴隷商の中でも極限られた一流の奴隷商会の工房のみであり、
当然、我が商会はそんな極限られた育成作業が可能な、とびきり優秀な工房を持っているのですよ、とまでは伝えない。
あまり手前味噌を並べても嫌味に聞こえるだけだし、ありがたみも薄れるというものだ。
ここはここまでで止しておこう。


「実際、男娼や牝奴隷は無論の事、この世のありとあらゆる恵みを味わい尽し、
 羊や牛などまで試して飽きた、という探求心を抑えきれぬ無類の美食家の方々や」
「他人と同じ事はツマラナイ、知られざる珍味を試してみたいという酔狂な貴族様など以上に、
 手早く好み通りの牝奴隷を一から飼育して楽しみたい、という方からのご注文が後を絶ちません人気商品でして」
「何よりもこの手の“乳獣”という奴は、大抵が人による種付けも可能だと言うが最大の特徴と言えましょうか」



説明を同時に通訳している娘の言葉に、男の眉の片方がクイ、と持ち上がった。
どうやらこの手の話題は嫌いじゃないらしい。
まぁ、大抵の男なら女に子胤こだねを植え付けてやる話には興味が湧くというものだろうからな。
逃れがたい男の悲しい性とでもいうべきか。
実際そのような甘言に騙されて、つい下級な奴隷商の口車にのって商品の瑕疵かしや値段の虚偽を見逃してしまった、
などという間抜けが今も後を絶たないと聞く。


「ええ、ええ、そうです。お察しの通り、ご自分で種付けから仕込みをされたいという、
 凝り性な方々などにも特に需要のある牝奴隷なのでございますよ」
「はは。無論、処理を施されているのみならず、同化した淫蟲を子宮に棲まわせている“乳獣”に種付けは出来ますが、
 それは乳の出を良くするだけの効果しかもたらしませんし、子供は育まれませんので、
 子を産ませて良き血統の種を増やすという馬や牛と同じようには行かぬのですけれどもね」
「ご存じかもしれませんが、この手の変わり種は飼育に手間が掛かる上に膨大な費用がかさむなどとして、
 大抵のお客様からは敬遠されがちですが…」
「その見返りとして、通常の牝奴隷では得られぬ極上の使い心地を約束してくれる肉体からだが出来上がるのです」
「大きな胸の牝は頭の方が足りないと俗に言われる通り、良く言えば大人しく従順、
 悪く言えば愚鈍で為すがままですので、実に調教が楽なのも魅力の一つでしょうか」
「ここだけの話ですが、そこらの愛玩用牝奴隷とは較べモノにならぬ途方もない値で取引される血統の“乳獣”を飼育され、
 我が商会も顔負けに市場へ御売りになって莫大な利益を得ている貴族様もいらっしゃるとか、いないとか…」
「入れ込みすぎて、ありあまる身代をつぶしてしまった、なんていうとんでもない噂話もよく耳にしますからねぇ」
「まぁ、えてして大金が絡むと人というのは、普段では考えられぬような事をしでかすものですから。
 あながち噂話とばかりも言えぬのかもしれませんけど」


そんな軽口をききながら、チラ、と男の方を盗み見る。
意外な事に今まで仏頂面で関心の薄そうな様子だったのに、この説明が気に入ったのか、何事か娘に耳打ちしだしているじゃないか。



「はて? 何かご不明な点でも?」
「違ウ言うマス、ご主人様。金だけではないヨよ。人を惑わすモノ、言うマス」
「ほほぅ…? 例えば、なんです? 後学の為にお聞きしてもよろしいですかな?」


再び男が女の美しいうなじを舐めるように顔を近づけ、何事か密やかに耳打ちする。
今度は酷く短い。そして、イヤらしい含み笑いと一緒に。



「ソレ……少なくともベッドの中デ、ミンナ…愛と思い込んでル、言うモノの為、言うマス」
「なんと? ……は、ははは、これは一本取られましたな」


ツマラン冗談だ。
まぁいい。とりあえずは此方の説明を全く聞いていないのじゃないという事さえ分かれば。



「まぁ、今のはごく希な事例ですけれどもね。ですが天国の淵を歩く気分を味わうのに妖しい薬などに頼らなくとも」
「このような錬金奴隷キリエ達で、安全に思うままに酒池肉林を楽しんでおられる方々も確かに存在する、というお話ですよ」
「いかがです、貴方様も一度この手の変わり種を味わってみては? 今ならお安くさせていただきますよ?」
「あー……色々説明ワカルますた。アルガトゥ」
「いえいえ、それはでは今回はこちらのような商品をお求めで?」



繰り出されるだろう無遠慮な注文を書き留めようと、ふところから帳簿を取り出した鼻先に、娘が巻物を突きだした。


「…コレは??」
「欲しいモノ、コレ。ご主人様の」



その手には上質な羊皮紙が握られている。
なんとも用意のいい事だ。
あらかじめ口でどうこう説明するより早いだろうと、必要な奴隷の条件を書き連ねてきた訳か。
しかし、そんな代物があるならサッサと寄越せばいいものを。
どうにもこの男のやり口が気に入らなくなってきた。


「アノ、それとこの事は内密に…と、ご主人様が」


お定まりの、いかにも立場ある貴族的なセリフを娘が吐いた。


「それは勿論で御座いますよ。イクブリウムで数百年掲げてきた『純白の宝石カオマァーニ』の看板をどうぞ信頼下さい」
「では、失礼をばして拝見させていただきましょうか」



甘い女の肌の移り香の残る上質な羊皮紙を手渡され、サッと目を通す。


「3、300……!?」


最後まで読み終えるまでに、装ってきた古風に折り目正しい物腰も忘れてつい声を漏らしてしまった。
男がニンマリわらったのが分ったが、それも無理からぬ話だ。
何の宴かそれともハーレムでも造るのに入り用なのかは知らぬが、1級性奴を300匹も用意しろなどとは!
しかも、3ヶ月でどうやってそんな数を?
1級品の性奴隷は男だろうと女だろうと、只でさえ何年も順番待ちだと言うのに!!
そもその1級品の性奴隷は今の相場でいくら安く見積もろうとも4000チャウは下らない、
その体重と同量の砂金より高い価値で取引されていると知って、こんな途方もない話を持ちかけているのだろうか?
いや、そもそも仮に金が用意出来たとしても、犬や猫でもあるまいに、痩せっぽっちのオツムの軽い自堕落女でなく、
厳しい条件を満たさねばなれぬ1級奴隷に相応しい肉体を持つ女が、そうそう運良く道に転がっているとでも思っているのか?

確かに帝都の貴族共は肉欲の赴くままに交わり、不義で出来た子をまるでゴミのように託児所へ捨てていくと聞く。
けれどそんな捨て子達を残らず拾い集めたとしても、到底無辜むこの帝国民が要求する膨大な需要を賄いきれぬのが現実だ。
ソレにも増して、性奴隷の、特に美女と美少年の注文は日に日に高まるばかり━━

では、どうするのか?
決まっている。転がっていないなら、自らの手で生み増やし市場の要求を満たしてやればいい。
そうして今日まで淘汰と交配を幾度となく重ねて生み出した高品質の奴隷達を錬金の秘術でもって培養し、
徹底的な管理と冷酷な飼育で発展して来たのが、最果ての砂の街エレホンに数多ある奴隷商会でも随一の信用と実績を誇る、
ここイクブリウムの『純白の宝石カオマァーニ』なのだ。
我が商会の評判もあってか古来よりここへ競って優れた奴隷商達が集まり、
結果として商人ならずともここエレホンを、闇の帝都ブラック・エンパイアと呼ぶ人々もいるというのも、当然の結果なのかもしれぬ。
それも無理からぬ話だろう、なにせ我が商会は帝都全土に大量の顧客を持ち、
これまで多くの貴族や果ては皇族ツエンフォからの数々の無茶で淫蕩な要求に応え、特級品の奴隷達を献上してきたのだから。
爾来じらい、ここエレホンこそが帝国における奴隷売買の中心地というのが、
いつの頃からか奴隷商人達に根付いた認識で、それはここ百年の間変わってはいない。
実際、我が商会の品を常々愛好して止まぬ皇族や王族は数知れぬ。
その絶大な権力を掌中にする者達と繋がる、イクブリウムの『純白の宝石カオマァーニ』に対して、
こんな途方もない要求を突きつけるとは…この男、果たして正気なのか?


「ははは。これはこれは…また、大変な数ですな。それにこの期日は…
 確か特別盛大な宴でも催されると伺いましたが、調度品などの方は間に合うのですかな?」
「あ。いえ、これは出過ぎたことをお伺いしました。お許し下さい」
「ご要望なのですが…当商会としましても、お客様のお望みにお応えしたいのはやまやまなのですが、
 何分2級品以上の奴隷…特に性奴は他でも引く手数多でして…」
「2級いらない。欲しいのはソレ。他、いらない言うマス」



喉を転がすような、涼やかで美しい声音だった。
一体、奴の腕に抱かれる時は、どんな声でくのだろうか…
そんな事を考えて、大貴族様が妙にねじけた表情で見つめているのに気がづくのが一瞬、遅れてしまった。
奴が糸のように目を細くしてこちらを盗み見ている。
こういう商売をしていると、唸りや歯ぎしりを敏感に察知出来るようになるものだ。
どうやら今の返答はお気に召さなかったらしい。


「結構ですな。無論、望みが高いのはいい事ですからね」
「ですが世の中思い通りになれば苦労はありません」
「我々は常に最高級の品質の品をお客様に提供できるよう心がけております。
 とはいえ、さすがにお客様の今回のお望み通りには…」
「とりあえず頭数だけ揃えるというのでしたら3級までの性奴を掻き集めれば、お望みの期日に間に合うとは思うのですが…」
「━━と、この男は説明してるデス」



娘が言い終わる前に返ってきたのは、鋭い叱咤の声とサンダルが苛立たしげに床を踏み鳴らす音であった。
返事を聞くまでもなく、今度は娘も何も言わず首を横に振るだけだ。


「そ、そうですか。これは弱りましたな……」
「そうだ。なんでしたら、3軒向いにある奴隷商ムラヒダにもお声をかけられてみては?
 あの店もウチに劣らず長い事この商いを続けている店でして」
「ひょっとしたらお客様のご要望にお応え出来る品数を用意しているやもしれませんよ?」



そう鷹揚に提案して、考えを巡らす。
おっと、マズイ。客人の前だと言うのに、つい体重を左右の脚に交互にかけながら無遠慮に考え込んでしまった。
しかし……どう考えたって、こんな要求には応えられない。実現不可能だ。


「そろそろ店番の者が戻ってくる頃ですし、これから先はその者に他の店への御案内を…」
「わざわざここまで来るデスには、他の店を訊ねる為ナイ、とご主人様が言うマス」
「う。それはそうでしょうが…」
「ここならバ、必ずや望みを叶えてくれル、アナタの部族の人の紹介デ来たのに」
「くっ…!」


ここで無理だ、と追い返すのは簡単だが、あのチェピートの紹介なのが厄介だ。
部族一の虚け者だ、鼻つまみだ、と言われようが、アレでも奴は名目上は次期族長候補の1人なのだから。
えぇい、アイツめこうなる事が分っていて、わざわざ災いを送りつけて来たんじゃなかろうな! 奴に目一杯の不幸と呪いを!


「うぅう〜〜〜む、困りましたなぁ…しかし、今からそのような数は…」


しどろもどろになる私へ放たれた、目の前の男の一瞥が胃液を凝固させる。
どこの馬の骨とも知れぬ成り上がり貴族よ、与太者の話よと、笑い飛ばすのは簡単だが、噂というのは恐ろしいものだ。
後々とんでもない噂をこの男だけでなく、チェピートの奴にまで振り撒かれては堪ったものじゃない。
都におわす親方様の面目だけでなく、そのような詰まらぬ遺恨で店の信用に傷がつくやもしれぬ、
などという事態はなんとしても避けねば。


「アナタ嘘言う。嘘、言うのは良くないデス。ご主人様、とても怒ってル」
「そりゃとんでもない言いがかりだ! ウチはまっとうな手法で長いことこの商いをしてるんですよ!?
 お客様に嘘だなんて…!」



マズイ。つい硬い声になってしまった。
確かに期間までに、我が工房独力でも頭数を揃えるのは可能だろう。
美しい顔の、見た目のいい肉体からだの牝奴隷なんぞ、いくらだって用意出来る。
問題は質なのだ。
粗悪乱造などと、己の首を絞めるにも等しい最も愚かな行為を、
この老舗しにせの中の老舗である純白の宝石カオマァーニが行えるわけない。
そもそも上級な奴隷というのは、数が限られているからこそ高価なのだ。
元より飼育に掛かる手間などによる生産効率の低さもあるが、供給側である奴隷商会同士で協定を結び、
市場へ出回る絶対数を気を付けて抑制している効果もあってそ、今現在のような価値でもって取引されているのだから。
この男の要求は、その同業者さえ裏切れと、命じているのだ。
そんな愚行をしでかせば、絶対にとんでもない負債となって我が商会へ跳ね返ってくるだろう。
とてもじゃないが、そんな無茶な要求は呑むわけにいかぬ。


「そ、それではこうしましょう。お客様にウチがどこにも奴隷を隠しておらぬと納得していただく為ならば、
 我が工房の隅々まで見ていただいて結構です」
「普段なら部外者は立ち入ることの許されぬ飼育場へだって、特別にご案内いたしましょう。その目でお確かめ下さい」
「それで必ずや御納得頂ける事でしょう。これだけ誠意を尽そうと言うのです、
 疑いが晴れた暁には何も言わずお引き取りお願い出来ますか?」
「ただし、我が工房の各所には古来からの外つ国とつくにより来たる者に反応する、
 呪法やまじないがいたる所にかけられていると聞きます。実際、私でさえ全ては把握しておりません」
「その“何か”に、万が一にもお客様が引っかかってしまい、不幸な結果が訪れたとしてもその時は何卒ご容赦下さいませ」



その問いかけに対する返答は、微かな唸り声だった。
奴隷商人風情が、自分のような大貴族に対して警告まがいの言葉をかけてくるとは何ごとか、といった所か。
お生憎だ。まだビタ一文だってもらってない、アンタにひれ伏すいわれはないんでね。

……まぁいいさ。それでもゴネたらなら、その時はその時だ。
なぁに、砂漠の旅には危険が付き物だと誰だって知っているじゃないか?
盗賊や砂嵐、謎の病に毒蟲と、いつ何時思わぬ不幸が見舞うやもしれぬ。
奴隷商の工房で秘密を知った貴族様が、どうして何事もなく家へ辿り着けると言い切れよう?
決して家へ辿り着けぬ呪いにかかり、亡者と成り果てた今でも蜃気楼の向こうを彷徨い続けている旅人の噂や、
大金持ちの貴族様が率いる大キャラバンが砂塵の向こうへ消え、
二度とその姿を見た者はいなかった、という話は何も御伽噺の中だけではない。

そう。今回もまた、不幸な事故が起こるだけの話だ━━



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