◆ 奴隷商人 ◆                                                   UPDATE 09.10.07


 第四章 『 秘密の認可証クリプトクリアランス 』 


「まったく、帝国でも随一の奴隷商会だなんだとおだてられているようだが、私から言わせればてんでなっていないな」

(やられた……!!)


どうやら最初に嫌な予感が胸をよぎったそれが、現実になってしまったらしい。
のんびり構えて一見奴隷娘にやり取りを任せているようで、実際には抜け目なく状況を詮索し、
色々と策を講じようと悪巧みしていたのだろう。
その笑顔には、上辺の実直さと傲慢さがない交ぜになって、とんでもなく鋭利な悪意が滴り落ちているのが見えるようだ。


「驚いているようだね。だが、私がいつ君達の言葉を操れないと言ったかな?
 それは君の勝手な思いこみじゃないかね?」
「おっ、思いこみ…!?」
「コレに取り次ぎさせたのがそんなに不思議かね? 何か誤解をさせたのだったら、それは失礼した」


無理矢理取り繕った笑顔を、抑えようのない疑念と不快感を露わにして歪め、つい辛辣な視線を向けてしまったが、
それは致し方がないだろう。
こんな扱いを受ければ、例え客だろうと。
だが男は顔色ひとつ変えていない。
おどけて挑戦的な笑顔を浮かべながら、脇で静かに控えている娘へチラと視線を流した後、勿体付けるように語りだした。


「なにせ私は人一倍人見知りするタチでね。ご覧の通り、地味で引っ込み思案なのさ」
「こ、これはまいりましたな。はは…ご冗談がキツイ…一体全体、これはどういう事なんでしょうか?」
「しなくていい時間の浪費というヤツが一番嫌いでね。私は」
「は、はぁ…?」
「で。さっきの奴隷に
ついての商談だが…」


言いつつ男は胸元に手を差し入れ、何やらさぐっている。
何なんだ、一体??


「アレは嘘だ。別に奴隷なんて欲しいわけじゃない」
「単に君の反応を見てみたかっただけさ。さぁ、もうあれこれ無い頭を悩ます必要はないぞ」
「は!? え? いや、そ、それじゃ…しかし…」


余りにあっけらかんと言い放たれ、数秒その真意を掴みかねた。
嘘?? なんだと? それじゃ、コイツは一体わざわざ何故ここまでやって来たんだ!?


「コレが何か、君になら分かるだろう?」
「!!??」


物腰は柔らかいままに、だが有無を言わさぬ淡々とした口調で、二の句がつけぬ私の鼻先に、男がある物を突きつける。
首から下げた半月形の首飾り━━


「ま、まさか……!?」
「そう。そのまさか、さ」
「どうして貴方様が、ソレを!? ソレは族長の証のハズ!! ど、どういう…!?」


模造品か、という疑惑は浮かばなかった。
それ程に精緻で見事な細工の施された、砂の民が腰に納める半月型の小刀を模した首飾りであったのだ。
代々受け継がれてきた族長の証であるその小刀の首飾りは、華麗な銀細工と象牙の透かしと、
どうやって成されているのか見当もつかぬ、刀身の中程で完全に浮いてまっている、深く澄んだ青い宝石で飾り立てられている。
伝承では、その細工と宝石は今は滅んで絶えてしまったいにしえのエルフ族の技術だとか。
さすがに西域の都でも、あの刀身に触れる事なくまっている宝石、
まやかしなどでなく確かに浮いている、そんな細工を施せる職人は居まい。
いや、仮にこれだけの物をあつらえるとしたら、それこそ今なら本物以上の金と時間を掛けねば造り出せぬだろう。
そんな面倒をして、わざわざ私を騙す為だけに模造品を用意する意味があるだろうか?
兎も角一度見たら忘れられぬ、ソレは明らかに誓いと名誉で形作られた族長の証であり、
そしてこの工房における秘密の認可証クリプトクリアランスであった。


(どういう事だ? 何故この男が、我が一族の長の証を持っている!?)


一体、いつ族長が変わったのだ?? そんな便りはついぞここへ届いていないぞ??
そもそも、そんな重大な決定をこんな時季外れになぞするハズもない。
だが、だがアレは紛れもなく本物の印だ。
幾重も恐るべき秘術がかけられている、力ずくで奪う事なぞ出来ぬ、門外不出の秘宝。
確かに帝都にはどこにでも葡萄の蔓グレイプヴァインがはびこっていて、秘密など結婚の誓いの言葉程度の価値しかなく、
一時も守られた試しがないとは言うが、この秘密は長きに渡って秘匿され続けてきたはずなのに…

まさか、この男の手の者に強奪されたのか!?
……いや、それはあり得ない。
都におわすお頭様を守る守護者達を、どうやったって並の方法で排除する事なぞ出来ようはずもないじゃないか?
では帝国の全奴隷商を統べる、八翕候はちきゅうこうの誰かの陰謀だろうか?
つい最近のお頭様からの便りには、ことさらどこの部族とも揉めたというような事は記されていなかったが…だが、しかし…


「おいおい、そんな脚に毒矢が刺さったみたいな顔で眺めるものじゃないよ」
「正真正銘、こいつは本物さ。ちゃあんと本人から譲り受けたんだからね」


こちらの心を読んだのか、その歪んだ薄い唇に残忍な笑みが浮かぶ。
奴のが、顔色を失ったままの私をからかうように、微かにおどった。


「察しのいい君ならもう分ったろう? お互い、時間は節約しようじゃないか?」
「その…それじゃ、都におわしたお頭様は、今どうなって…?」


返答はない。
奴は肩をすくめただけだった。


「人生には浮き沈みはつきものだ。そうじゃないか?」


この男が言うように、本当にそうなのだとしたら確かにもう勝ち目はない。
お頭様ならいざしらず、自分のような只の平民上がりの工房管理者が、あの印を持つ相手に異議なんぞ唱えようものなら、
次の新月までに砂漠の真ん中に置き去りにされてしまうだろう。
それ程に、長の権力は絶大にして絶対だ。


「随分と前任者の事を慕っていたようじゃないか? ああ、確か君の縁者だったのだっけな」
「……っ!」


分かっていて険悪なこちらの視線など、はなも引っ掛けない。
正体をバラしたせいでか、本人は愛想良くしているつもりなのかもしれぬが、かさにかかった尊大な態度は一層に増していて、
抑え切れぬ苦い怒りが胆汁のように口に拡がっていく。


「だとしてもだ。私にもそれなりの敬意を払うものじゃないかね?」
「君も知っての通り、八翕候はちきゅうこうの一員は、常に尊敬に値する言動で選ばれる。そうじゃなかったかな?」
「そ、それは……」
「怪訝に思うのは尤もだが、急遽こうして君等を私が統べるようになったのには、色々と“複雑な事情”があってね」
「まぁ、そんないわく付きのお陰で、人生って奴が面白くなるわけだな。まるで喜劇のようにね」



そう。例えなにかしらの策略で証を手に入れたとて、他の族長に認められねばその効力は発揮されぬ。
もしも族長の誰かが不当に命を落とすような事になったのなら、他の族長が黙っているはずがないのだ。
ここにこうしてこの男が居る、という事実が何もかもを物語っている。


「喜劇、ですか……まるで戯曲かなにかの話をされているようですね…?」
「そうさ。だからこそ、人生ってのは期待はずれに終わる事も間々あるものなのさ」
「それも悲劇のように、ね」


本当にこんなふざけた男が、我が一族の長になったというのか?
何故だ!? 一体こいつは、どこのどいつだと言うんだ! 未だかってこんな男を見たことも聞いた事もないと言うのに!!


「なに、そう悲観するものでもないさ。どんな舞台でも…」
「……?」
「時として誰も想像しえぬ、素晴らしい巡り合わせが起りうるのだから」



ニヤ、っとわらった。
優しさの欠片もない、底意地の悪い笑みだ。
例えそれが、どんなに登場人物の意に反していようとも、と言わんばかりに悪っぽく片目をつぶって。


「私達のような、ね」



どうやら私も引きずり出されてしまったようだ。
このイカレた男が指示する、悪夢のような舞台へ━━



━ ◆ ━



「どうした! 居ないのか!!」


息巻く親方の声が、幾度も薄暗い工房に響く。
誰とも知れず、皆の視線が一点へ集まり始めた。
返事をしちゃマズイという警戒心と、抑えきれぬ好奇心が一緒くたになって、スズメバチの針のように頭の奥を刺し続けている。


「居ないのか!! ハサム!!」
「ハ、ハイ…なんでしょうか親方様?!」


どのみち名指しで呼ばれては、出て行かぬわけにもいかねぇじゃねぇか?
客人を引き連れた親方の前へ、慌てて仕事を切り上げて駆けつけた風を装ってみるが、バレバレだろう。
工房の皆は、仕事へ戻るそぶりをしながら、しっかりと聞き耳を立てているのが分かる。


「どうしてすぐに返事をしない! このマヌケが!!」
「ウヘ! す、すぃやせん! ちょいと作業に手間取っちまってて…」
「……ほほぅ」


顔に似合わぬオレ様の低い錆声に、客人が表情を曇らせる。
いや。元々なめし革工房から洩れてくるような、あの独特の鼻につく嫌な悪臭と、
スラム一帯で漂ってる胸クソ悪ぃ安ランプ油の燃えカスの悪臭が闇を漂ってンだ、そのせいかもしれねぇけど。
只でさえ、ここは古い建物特有の埃っぽい臭ぇ匂いがすンだしさ。

どっちにしろ、大抵の奴がこのオレ様の声を聞くと、揃って同じ反応を返してくるンでもう慣れっこだけどよ。
短くない工房生活のせいで薬品と蒸気に喉をやられちまったンだが、そんな説明は命じられてもいねぇし、
誰も望んじゃいねぇだろう。


「……まぁいい。こちらの御客人を案内して差上げろ」
「え? 案内って、工房を…ですかい?」


一転して冷ややかなその親方の声に、舌先を凍り付かせながら聞き返す。
見ると熱いスープで喉を火傷したが冷やす水がない、といったような顔つきだ。
水で薄めすぎた安物に、香りで誤魔化そうとした薬草汁が混じってる、
裏通りの店で最低なワインを飲んだ間抜けだって、こんなヤベぇ顔はしねぇ。
一体全体コイツはどういうこった? こんな所まで客人を招き入れるってだけでも大事だってぇのに、コイツは…


「オ…いや、私がですかい? そりゃまたどうして…」
「いつも“ココの事は何から何まで知り尽くしてる”とか、生意気に豪語してたんじゃなかったのか?」
「ウへ! そ、それは確かに…で、でもですね…!」
「暇で暇で仕方がないお前にお誂え向きな仕事だろうが? それとも、何か不満でもあるのか? どうなんだ?」
「い、いえ。滅相も御
座いません!」



慌てて顔を伏せたまま、こっそりと親方の隣で鷹揚に構えている謎の男と、その背後に控えている女を交互に盗み見る。
いずれも最初に姿を見た時と印象は変わらない。

案内ねぇ……女連れでこんな所をノゾキにくるなんざ、マトモな趣味じゃねぇのはキマリだな。
何を親方はビビってんだか知らねぇけどよぉ、どうせ肉に狂った助平貴族だろ、コイツも。
待てよ? へへ。コイツはひょっとして、案外ラッキーだったのかもしれねぇぞ?
大手を振って仕事をサボれんだ、悪かねぇ話じゃねぇか?
ヘンな音でどうするか困ってるトコだし、適当にこの助平野郎の気を奴隷共へ向けちまって、いい感じに時間を潰してやろう。
うむ。別にサボってたわけじゃねぇし、理由も完璧。親方のお墨付きもあるんだしな。
新市街へノコノコお上りさんで来たっぽい助平貴族なんざ、オレ様の口先でちょちょいと煙に巻いて、
巧いこと丸め込めちまえばいいんだし楽勝よ。


「ならさっさとご案内して差上げろ。いいな、くれぐれも粗相のないように」
「ハ、ハイ。かしこまりました」
「……全て御客人の望むようにして差上げろ。どんな望みだろうと、だ」


然るべき敬意をもって遇するべきだぞ、と言外にたっぷりと匂わせ、親方はサッサとその場を立ち去ってしまう。
オイオイオイ、マジかよ? 全てって、いいのかソレ? どうなっても知らねぇぞ?
ってもまぁ、しゃーねぇか。客人の相手を誰もしねぇで放っとくわけにもいかねぇし。
どっちみち工房の誰ぞが、この妙な客を案内しねぇわけにゃいかねぇんだろうからなぁ。
そのオハチがオレに回ってくるたぁ、思いも寄らなかったがよ━━


「え、え〜〜〜と……そ、それでは、まずどちらへご案内しましょうか?」
「そうだね。まずは“死に等しき罪ペッカート・モルターレ”を見せてもらおうか」
「ペ…? な、なんです、それは?」
「おっと、君達はそうは呼ばないんだな。これは失敬。つい都での呼び名を口にしてしまったよ」
「ハ、ハァ…?」


こちらの怪訝そうな顔を眺めるその表情は涼しげで、まるで木漏れ日の刺すヤシの木の葉のようにさわやかだ。
バカにしやぁって! ムカつくぜ…!! 『卑しい君には今の言葉は難しすぎたね』とか、鼻で笑いやがったろ、今!!
手前等が勝手につけた呼び名なんて、そんなモンこちとら知るわけねぇだろがよ! ちゃんと分かるように言えってんだ!!


「そう、君達が俗に言う“ウツシ”という奴を、まずは見せてもらおうかな」
「……!?」


よりにもよって“ウツシ”を見せろ、だって!? オイオイ、冗談じゃないぜ?!
余りの事に怒りも忘れ、思わず顔をしかめる。
去りゆく親方の背へを視線を走らせるが、このやり取りが聞こえているだろうに、振り返るそぶりも見せず行ってしまった。
うへー、ホントにこの客人になんでも見せちまって構わねぇってか? 後でどうなろうと知らねぇぞオレは。


「おやおや、浮かない顔だね。今朝食べたトウモロコシのスープにでも当たったのかな?」
「ハ?! え? あ。い、いえ…」


こちらがなかなか口を開かぬのを見て何を思い立ったのか、男が気さくに話しかけてきた。
だがそのくすんだはちっとも笑っちゃいねぇ。
何を企んでやがんのか、一癖も二癖もありそうな嫌な野郎だぜ。ちぃとも腹が読めやしねぇ。


「所で、君はさっきの彼の言葉を聞いたよね。全て私の望むようせよ、と彼は君に言い付けたはずだよ?」
「あ、その…ハイ。も、申し訳御座いません。え、えーと…か、かしこまりました」
「おいおい、私は何も君に害を及ぼそうと言うんじゃない。そうかしこまる必要はないんだ」
「それじゃまるで、珍しい昆虫を見つけて鼻先を噛まれないよう、
 ビクつきながらフンフン床の臭いを嗅ぎ回っている野良犬みたいじゃないか?」



気の利いた冗談のつもりなのか、男が口端を歪めた。
酷く渇いた、冷たい笑みを浮かべて。


「いえ、その…急に、アレな事を言われて、その、ちっとばかし戸惑っちまいまして…」
「君は私の言う通りにすればいい。さぁ、さっそく案内してもらおうかな」
「ハイ。それでは……ど、どうぞこちらへ」


えぇい、もうどうとでもなれだ! オレ様は命じられただけなんだ。どこへだろうと、連れて行ってやるさ!
予想外の展開にまとまらぬ考えを巡らせながら、横柄そうに応える男を工房の最奥へと手招いた。
階段のある中央の大部屋から八つの方位エティルで“最も忌むべき”ノルドゥルへ進み、
突き当たりにある頑丈な2枚扉を開け、一度導くように半身を後へ向け客人に目配せすると、
精一杯の愛想笑いを浮かべつつ、慣れ親しんだ冷たく青白い薄闇へ身を投じる。


(ヘヘヘ! 何様だか知らねぇが、こっから先何を見ても腰抜かすんじゃねぇぜ?)
(ようこそ。我が世界へ、ってね……!)



━ ◆ ━



うだるような暑さも、せかえる臭気も、飛び交うハエの大群が運んでくる耳障りな羽音も無い。
どこにも人間が発する熱気や、体臭、呻き声どころか息遣いさえも皆無だ。
どの機材も隣部屋のように紅錆色になど染まっておらず、古い建物特有のかび臭さとも無縁。
干し煉瓦で組み上げられた分厚い壁で囲まれた、杳々ようようとした闇が満ちるこの部屋の上に、
灼熱の世界が拡がっているとは信じられぬ程、ゾクリ、とする冷気で満ちている。
初めて訪れた者ならば、皮膚を剥かれ、骨を冷気に晒されたかのような錯覚に陥る事だろう。
ここは培養室。
オレ様の仕事場だ。


「おおお…!? 扉一つ隔てただけで、随分とまたこれは…
 何かの呪法か錬金の秘術か……」
「お静かに」
「おっと。何かマズイ事でもあるのかな?」
「……お望みのままどこへでも御案内しますが、ここでは騒がぬようお願いします」


全くうるせぇ男だぜ。オマケに一々、物言いが癇に障りやがる!
どこへでも案内しろ、とは言い付けられたが、作業の邪魔をさせていいとは言われちゃーいねぇんだからな!
幾人もの工房奴隷は先刻の騒動なぞ知らぬ風で、我々になどに目もくれずいつも通り迅速かつ効率的に働いていた。
静寂を掻き乱す闖入者へ向けた、こんな薄暗い穴蔵でかけずり回っている惨めでうだつの上がらぬ男達の、
憤懣ふんまんをタップリ込めた言葉が聞こえてきても良さそうなのに。


「まだ調整中の個体が多数、ここでは、と、取り扱われていますので、
 外からの言語や刺激は、きょ、極力避けるようにしているのでございますです」



幾何学模様を描き出す大理石の床の上には、丁度したたる雫のような形をしたガラス容器が、
理路整然と部屋の奥へ奥へと向かってズラリと並んでいた。
そしてその培養液で満たされた容器の中に、幾人もの調整前の奴隷達が赤子のように頭を逆さにして身を丸め、
培養槽の天井から垂れ下がる幾本もの細かな管に繋がれユラユラと液体の中を漂っている。
漆喰仕上げの天井から幾本もの蜜色のガラスの管が延びているのを、不思議そうに客人達が眺めているが、
アレでここへ地上から幾種もの高価な薬剤を、培養槽に浮かぶ奴隷達へ流し込んでいるのだ。
その大掛かりな仕掛けを木組みや鉄製の角材が延々と支えている機材や、
東域の先端技術を用いて組まれたこの工房の様子は、恐らく都でだってお目にかかれまい。

そんな重々しい木組みの他に、延々と続く壁が所々でヘコんでいるのは換気と明かり取りの為だ。
もっとも薄暗い地下室全体の威圧する雰囲気を和らげるには、
その隙間から差し込む陽の光は弱々しすぎて、言われなければその存在さえ忘れがちだ。
それ以外にも壁にはいくつかの木棚が造られていて、そこには1冊で都の豪華な貴族の屋敷が丸ごと買える、
高価な錬金術の書物がびっしりと並んでいるのだが、どうせこの男にその価値を理解出来ねぇだろう。
薄暗くてよく見えぬ程延々と奥へ延びるこの地下工房には、まだまだ同じような様子の別屋があるンだが、
そこまでこの男を案内してやることもねぇさ。

どちらにせよ、ここは客人の見聞と理解を遙かに超えた、神代より編まれ続けてきた知識と秘術で埋め尽されてンだから、
なんにも知らねぇ成金の素人が見ても面白くもなんともあるめぇ。
実際、細かく機材の仕組みを説明しろって言われたって、オレ様だってチンプンカンプンなんだしよ。


「ふむ…この肌の白さは北方の血が入っているな。このきめ細やかさは東方のか…?」
「ほほう。この炭のような肌と肢体のしなやかさは南方の血だな。この赤い髪はなかなかな見かけないな。
 流石に名の知れた老舗だ。手広く扱っているようじゃないか」
「は、はぁ、そうです。色々と取り扱って、おるますです」
「素晴らしい。私も都で沢山の美しい女達や奴隷娘を愛でてきたが、これだけの上物は滅多にお目にかかれないだろうね」



西に始まって、北、東、果ては南の果てまで、それこそウチで扱っておらぬ品種の培養奴隷はいないだろう。
多産な南国の黒人系の血統もかけ合わせ、肌の滑らかさや、髪の色、その艶やかさ、そして目の色に到るまで、
多種多様な要求にでも応えられるように、複数の美しい男女の奴隷達を数限りない種族から選りすぐり、
気の遠くなる程掛け合わせて何十代もの血の犠牲の果てに造り上げられた、
まるで粘土細工の人形のように欲望のままに捏ねられ、奴隷として生まれ出るべくして生まれ出る、
選び抜かれた隷属の血脈を色濃く受け継ぐ最高級品の牝奴隷達。
その血も、肉も、もはや奴隷と呼んでいいのかさえ分からぬ程に磨き抜かれているのだ。


「こっちは乳房の張りといい尻の肉付きといい、実に素晴らしいじゃないか。
 それにこっちは、まだ処女の幼い肉付きを巧く再現しているな。おお、不浄の穴という穴を丸見えにして…
 ワレメのヒダも尻孔のシワも少しもくすんでいないぞ。この年頃の穢れない美少女の入手は、都で実に苦労するのだよ」
「歳は、こちらが20前後で、こっちが15、6ってところじゃないのかな? お。コイツは12にも満たないな。
 名うての老舗、都でも指折りの奴隷商と呼ばれるだけはある。なんとも素晴らしい!」
「あ、あのぅ…」



こちらの注意など耳も貸さず、培養槽に浮かぶ育成中の牝達を値踏みするのにすっかり夢中だ。
まるで牛や馬の品定め同然に、穴の使い具合は、ヒダの吸い付き具合は、乳房の揉み具合はどうかとか、
質問を浴びせかけていたかと思うと今度は女達の背後に廻って、一人ずつ白桃のような艶尻を割り開いて、
肛門を押し広げ繋がる管の具合を確かめつつ、勝手な感想や寸評をベラベラとまくし立て始めた。

まるでその様は、奴隷船の船倉へ家畜同然に放り込まれ、全裸に剥かれた女達が、
途方もない不安に怯えすすり泣きながら肩を寄せ合っているのを見下ろし、
あれこれと品定めしてる奴隷狩りの連中そのものじゃねぇか。
まぁ、確かに奴が目を釘付けにして放さないように、培養槽に浮かぶ女達はヘソの緒を、
乳首と尿道と膣口、そして肛門を繋ぐ管以外は、何一つ身に着けておらず素っ裸だ。
隅から隅まで、じっくりとその仕上がり具合を観察するにはもってこいなのは分かるが、
だからって案内しろと手前で言い出したんなら、オレ様の話をちったぁ聞いたらどうなんだよ、えぇ!?


「しかも皆、実に素晴らしいプロポーションをしているな。どうやら、君はいい仕事をしているらしい」
「え? う…あ、ありがとうございます」
「所で、この培養槽の娘達のドテは皆、幼女のようにツルツルだな。君の趣味かね? その手の専門なのかな?」


取り澄ました顔のまま、冷ややかに訊ねてきた。
どうやら冗談のつもりらしい。全く笑えぬ、最低の。



「ハ、ハハ。滅相もない。それはですね…
 趣味かどうか以前に、特別に注文が無い限りは全て“薄目”に、しくは“無毛”で、と定められているんです」
「ケジラミなどで後々、飼い主が不快な思いをなされぬように、とね」
「ふぅむ、おかしな所で気を利かせるんだな、君等は。で、君はこの手の娘達を味わった事があるのかね?」



まるでかすみたいな安酒を水で薄め、味を誤魔化す為に得体の知れぬ薬草を放り込んだ、
ワインとも呼べぬ代物しか飲んだ事のない若造にでも問いかけるような言い方を奴がした。


「ご、ご、ご冗談を。商品には、手をつけられません、です」
「ふぅん……そうかね。だが出荷する商品の出来具合や味わいを知らぬのは、生産者としてどうかな?」
「えー……な、なんと申しますか…そもそもこうして毎日、商品として取り扱っていますと、
 肉屋に吊されてる牛や豚と同じように思えて…その、わざわざ手を出そうなどという気は、
 なかなか、お、起りにくいものでして…」
「おやおや、庶民には手の出ぬ高級奴隷を牛や豚になぞらえるとは、なかなか君も贅沢な事を言うね」
「い、いえ、そのようなつもりは…ですが、高級品なればこそと言いますか、その、えー…
 わ、私の手には負えかねますんで…」
「フフン。まぁ、そうなんだろな。そもそも朝市の荷運びか、安酒場の給餌奴隷の相手が分相応か。君なら」



なんだとこの野郎! 今の説明を聞いてなかったのかよ、金じゃねぇっつてんだろーが!
そう怒鳴りつけてやりたい衝動を、ググッと噛み殺す。
いけねぇいけねぇ、ここで大声あげたらこのマヌケ野郎の事言えたもんじゃねぇじゃねぇか!
兎も角、ここでの大声はマズイ。
決まった! やっぱりコイツは嫌な野郎だ、まだ湯気を立てている驢馬の糞みたいに!!


「話を遮って悪かったね。続けてくれたまえ」
「…ハイ。えー…ここは、ちゅ、中有の闇ちゅうゆうのやみを彷徨う無垢なる魂とかに、
 決して消えぬ性奴隷の、ら、烙印を焼き付ける、作業場でございますから…えーと」
「なるほど。育成初期の…それも刷り込み前の、まっさらな状態の奴隷がいる訳か」
「確かにそれは高級品だな。そこらの奴隷とは気の遣いようも違って当然か」



なんでぇ、この男もさすがにオレ様が目を奪われる程の牝奴隷を飼ってるだけあって、
ちったぁ奴隷飼育の事が分かってるようじゃねぇか。
奴の言う通り、育成初期の培養奴隷はスゲェ不安定な状態で、
培養槽の外から与えられる刺激や情報に妊娠数ヶ月の胎児の如く敏感なのだ。
だが、だったら最初ハナから騒ぎ立てるんじゃねぇってんだ! 分かっててなんでデケェ声だすんだよ、お前ぇはよ!



「てっきり、店の地下はどこでも騒々しい所なのだと、勘違いしていたよ」



……ははぁん、成る程ね。
確かにそこらの名前も知れぬ三流奴隷商なら地下で扱ってンのは、
様々な秘密を抱えた調教前の傷物奴隷娘か訳アリで表にゃ出せぬ娘か、そんな所だろうさ。
だがここで扱ってるのは、体重の2倍以上の砂金を詰んでも滅多に手に入らねぇ、
とびっきり上物の培養奴隷なんだって事を忘れてもらっちゃ困るぜ。


「噂には聞いていたが、これが育成している現場か…確かにこれだけ大きなガラス細工の容器は珍しいが、
 色々と聞いてた話と違って、そう見た目に驚くような代物ではないのなのだな?」


培養槽の床に編まれた魔法陣が発するほのかな青白い光りに照らされる奴隷達を眺めながら、
さも自分は方々で奴隷商の舞台裏や現場を覗いて来たのだぞ、と訳知り顔でのたまいやがる。

オイオイ、見てくれだけで判断しちゃいけねぇな。これだから素人トーシローってのはよ。
よりにもよってこのオレ様が管理、育成を徹底してる培養奴隷共を、
そこらの三流奴隷商の品物や、ちっとばかし見てくれが小綺麗な見せ物小屋の娘っコ達と比べてもらっちゃあ困ンぜ。

いくら餓鬼の時分からシゴき抜き、飼育し、調教を施そうが、錬金の秘術で一欠片の肉片から生み出され、
培養された性奴隷には、その姿も、使い心地も、満足感も到底及びはしねぇンだぜ? 知らねぇはずねぇだろ、アンタなら。
そりゃやそうだろ、なんたって生まれる前から調教を施されてンだ、その肉体にも、魂にも。
子宮で育つ過程を培養槽内で人為的に行い、蟲植付けて薬漬けの奴隷育成するなんて、
どこの悪魔みてぇな野郎が考え出したんだが知れねぇが、マジハンパねぇぜ。
まぁ、お陰で培養奴隷の飼育には大金は勿論、バカみてぇな手間も暇もかかるし、
調教のさじ加減に始まって、様々な困難な問題が山積みで完成までの難易度がハネ上がっちまうんだが…



「い、いえ。培養奴隷だけならば数は少ないですが、扱う奴隷商はウチ以外にも在るでしょうし、
 市場にも極僅かですが流通してますんで、今のように神経質になる必要もないかもしれません」
「ですが、扱う奴隷が“ウツシ”などの高級奴隷の場合は、我が商会のみの“特別な奴隷”となりますから、
 と、特に細かな調整と投薬が必要なンですので、出来る限り予定外の刺激等は、
 は、排除するようにと、ですので、く、く、くれぐれも御注意━━」
「オイオイ、聞いていられないぞ」
「ぅえ……?」
「無理してそんな使い慣れぬ言葉を使う事はない、と言ったんだ。
 誰も君のような小僧に美辞麗句を期待なぞしとらん。普段通りにしゃべるがいいさ」
「でないと案内を終える前に、君の舌がボロボロになってしまうだろうからね」
「ハ。ハハ……ありがとうございます。そ、それじゃ…」


ケッ! 大物ぶりやがって。
どうせ三代前のご先祖様の名も定かじゃねぇ、どこの馬の骨とも分らぬ小賢しい悪党なクセしてよ。
金持ちってぇのは、大抵そーいうロクでもねぇ連中だって、相場がきまってンだ。
そもそもが奴等は卑劣で愚鈍なクセして貪欲で意地汚ぇ、オマケに手前の為なら友と言わず、
時には親兄弟まで利用した挙げ句に見捨てやがンだぜ? 信じられるかよ?
でなけりゃ、無知で低俗な下種野郎があんな風に、人の羨む格好して幅を利かせられるわけがねぇ。
マジで反吐が出やがンぜ。
弱者や不遇者は徹底的に虐げ、搾取し、逆に強い者に媚びへつらいやがるクセして、
陰に回るとソイツを妬み、嫉み、馬鹿にした顔して嘲笑あざわらってンのをオレ様はよぉく知ってる。
ソイツが貴族様ってぇ奴に共通してる、人とナリってもんなクセに!



「えーと、その、今も言いましたが、ここでは騒々しいのは御法度です」
「でねぇと納品した後で、ウチの商品にとんでもねぇキズがついてたって、
 ウルせぇ飼い主にとんでもねぇ文句タレられますンでね。そいつはどうか勘弁願いますよ」
「ふむ、心得た」
「特に他の奴隷と違って、“ウツシ”を欲しがるような執着する客は、その辺りが特に細けぇンですよ」
「ですんで、この先はもっと注意が必要ですから、なるべく静かにしてくだせぇ」


ここには奴隷生成と培養に必要な、あらゆる最新の設備…ご禁制の品々が組込まれた機材でさえ整っている。
本来、固く禁じられている錬金の秘術でもって特別な奴隷達を造り出している、
決して部外者にその存在も、行いも知られてはならぬ禁忌きんきの場なのだ。
と言っても、生まれたばかりの赤子の時点から調教を開始するなんて日常茶飯事だし、
転々と買い売られしてきた人買い共に心身共に凌辱し尽くされた挙げ句に、
まだ未成熟な幼子の魂に忌まわしい呪法をかける、なんて救いのない事が四六時中行われてるこの国じゃ、
奴隷に関して禁忌タブーなんてモンは元々存在してねぇに等しいンだけどな。

大体、止まることを知らぬ人々の歪んだ欲望を満たす為だけに日々大量に生み出され、消費されていく性奴隷達は、
元々は気まぐれな自然と美しい男女の幸運な出会い、そして目の肥えた奴隷商人の飽くなき意欲から生み出されたものだった。
それがいつしか苛烈を極める品種改良と過剰な間引き、そして肉体からだを傷つける短絡なしつけと、
魂を蝕む悪魔の如き薬物で、飼い主の欲望のままの肉体からだに、心に、極限まで調教飼育され、
隷属化させられて、心身共にボロボロのひび割れたガラス細工の如き代物なのも構わず、
見てくれだけ磨き抜かれ、尽きることなく送り出されていくようになっちまった。
どんな悲惨で過酷な運命が待ち受けようとも、まぁ生きてせいぜい、2、3年程度だろうから、
本人達にとっちゃ、むしろその方が幸せなのかもしれねぇけどよ。
そんな状況で、誰が性奴達の身に降りかかる呪わしい不幸を一々嘆いたり、禁忌タブーを気にするだろうか?

だがそんな救われぬ奴隷達に悪魔の如き仕打ちを施す奴隷商や、それを日々大量に消費する王族や貴族、
そして大量に売り買いする大富豪達が住むどの国や部族でも、固く禁じられている事柄が一つだけあった。
それが“ウツシ”だ━━



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