◆ まほろばの闇 〜リマインダー〜◆

「あああああああああああああああああああああ!!!」

ガバ!!

「はぁーっ、はぁーっ………っ!?」

尾を引く長い長いうめき声に導かれ飛び起きた。
渇ききった唇が貪るように空気を求めてひび割れる。
大きく身体を震わせ、ベッドの上に座り込んだ。
今しがたの悲痛な声が、己の口から発せられたものだとすぐには気づかなかった。

「はぁーっ、はぁーっ……朝?」

顔を両手で覆って、しばらくそのまま気を静める。
ようやく顔を上げると、涙と汗で掌がぐちゃぐちゃに濡れていた。
降ろしたブラインドの向こうから、小鳥の囁きと朝日の輝きが流れ込んでいる。

「…夢……だったの…?」

深く息を吸う。
あの吐き気を催す白濁の後味と、こびりつく青臭い匂いが口の中にわだかまっているよう。
夢の中で浴びせかけられた、奴の嘲笑あざわらう声が確かに耳にこびりついている。
圧倒的な力で最奥まで刺し貫かれた、あのヒリつく恐ろしい感覚も。
けた肉塊がぴったりと子宮口に押し当てられ、貫かれたあの感触も。
幻でも夢でもない。
アレは幾度も幾度も繰り返し嬲り抜かれて、
奴のどんな歪んだ欲望にも応えられるように細胞の一粒まで残らず改造され尽されてしまった、
この淫ら極まりない肉体からだに刻みつけられた禍々しい恐怖の記憶━━

「ぅ……!?」

慌てて洗面所へ駆け込む。
最悪な夢見の原因は、余りに寝付けないので飲み慣れぬ強い酒を、昨晩ガブ飲みしたせいだ。

「ふぅ……慣れぬ深酒なんて、するものじゃない…」

ベッドに倒れ込むと、今頃になってガンガンと二日酔いの鈍痛が襲いかかってきた。
参った。天井がぐるぐると回ってる。
チラリと、時計を盗み見ると、起床予定の時間をもうかなりオーバーしていた。
いけない。朝の閣議に遅れてしまう。

「早く…支度をしないと……シャワーに…」

着替えをしようと軋む身をノロノロとシーツから引き剥がしかけて、ふっと手が止まる。

「……」

何気ない視線の先のデスクで、冷めたコーヒーカップの底にホロ苦い後悔がこびりついてた。
山積みの白紙の書類は、私が黙って虚しくサインを繰り返しただけの跡が残ってる。
クローゼットは、今まで犯した過ちとその秘密が溢れかえって今にもこぼれ出そう。

「別に…私がいようがいまいが関係ない閣議なんて…」

もうずっと消し去りようのない深い憂鬱が私の中に居座ってしまってる。
泣きたい時でも、笑顔を振りまいては失う物ばかり。
何かを証明しようと、何かを果たそうと躍起になって…だけどその情熱の泉は、もう干上がってしまった。
とっくに空の青は、もう昔と同じように見えない。
過ちの意味はよく分ってる。
きっとこれが嘘の代償。
みんなを騙し、愛するアスランにさえ、偽りの笑顔を向けた。

「あぁ……私は、なんて事を…」

マブタを閉じると、苦痛から逃れるために犯してきた数知れぬ私の弱さが襲いかかってくる。
相変わらず問題は山積みで、助けてくれそうな人なんて一人も見当たらない。
最善を尽して努力を重ねたけれど、欺瞞だらけの日常は変わらず、苦悩は少しも減りはしない。
壁に掛かったお父様の肖像画は、もう私には聞き取れぬ言葉で何かを哀しく伝えようしているよう。

「アスラン……」

いつ果てるとも知れぬ嘘と孤独にさいなまれ、知らぬ間に貴方の優しげな笑顔を、姿を探してしまう。
軋む切なさが、募る想いが胸一杯に膨れあがってきて抑えきれない。
ほんの数年前まで、愛する人との満ち足りた日々が永遠に続くと信じてたのに。
貴方と過ごした時は巡り、あの温もりを想い出すには遠すぎて。
今はもう、砂が指の隙間からこぼれ落ちるように、瞬く間に時が過ぎていく。
答えてくれぬと分っていても、貴方と一緒に微笑んで映るあの日のフォトをつい見てしまう。
心の居場所を探して、毎日時間を無駄にしている気がしてならない。

「まるで終わりのない闇を彷徨さまよっているよう……」

あの日、あの場所で、貴方に告げた別れの言葉は、まだ唇に凍り付いたまま。
古びた傷が痛むように消えぬ想いが切なくて、今も不意に涙がこぼれ落ちそう。
愛しい貴方に逢えなくなって、もうどれくらい経ったのだろう?
この無慈悲な痛みと、扱い切れぬ塊みたいな哀しみをせめて打ち明けられたなら…
何度も何度も繰り返し、そんな事ばかり。
例え貴方が今、目の前に現れたとしても、私には会う勇気も資格も無いと分ってるのに。
どんなに叫んでも手を伸ばしても、もう伝わらない、届かない。
嘘にばかり甘えていた、それが私の過ち。
罪の意識と後悔の念、それは私が死ぬまで背負っていく運命さだめ
分ってる、理解してる。何もかも自業自得だと。
だけど逃げ出したい、消し去りたい。
嗚呼…あの日、あの場所で、貴方に告げた言葉が違ったなら。

「今も貴方の横で幸せに微笑んでるのは、私だったのかな……?」

目を閉じ、禍々しい記憶に埋もれかけてる、貴方の眩しい笑顔を懸命に想い起こす。
昨日を悔やむ哀しさ無しに、もう朝が訪れなくなってどれだけ経ったろう。
傷ついているのは、私だけじゃないハズ。
誰もが答えを探してる。誰もがひざまずいて、祈りを捧げてる。

「そう……何も間違っていないし、何も正しくもない」
「誰もが辛い日々を耐え、暗い夜を越えていくしかないんだ…」

今ならそう思えるようになった。
いいえ。そう思うようになったのか……

「アスラン……」

只一つ、消し難い後悔で、また今朝も胸が痛む。
もっとずっと前に、貴方が隣で優しく微笑んでくれてる時にそう思えていたのなら、
きっとこんな風に朝一人哀しく目覚める事なんて無かったろうに、って━━

 ◆ 中編 了 ◆

次へ
戻る